政治・思想(嫌いな人回避用)アーカイブ

2011年10月19日

拍手お返事と現代アートのお話

2011/10/13 拍手
19時
 https://yu-hi.sakura.ne.jp/hinabita/archives/2011/08/07230114.html
 マジスタンスって何だったんでしょうね

拍手ありがとうございます
マジスタンス、という呼び名はどうしても荒らしの丸の内ocnを思い出すので
敢えてこの文章で再定義しつつ、二次裏化、E&E化、と呼んでみます

二次裏化するというのはどういう事かというのをあれから考えてみたのですが
究極的には「顔も知らない誰かと協力して互いに楽しい事をする」事ではないかと思いました

あの騒動が落ち着いてここ最近二次裏化した人たちがどこに行ってたかというと
Mooo!ビデオという動画に落書きできるサイトに遊びに行っていたようです
けいおん!のOPに落書きを足して遊んでいる人たちは
互いにここにこう言ういたずら書きをしたら面白いだろうな、と足していって
皆でオリジナル絵ばかりの動画に描き直していってしまうような遊びをしていました
しかしお絵かきチャットと一緒で全消ししたりして嫌がらせをする人も居て
そういう嫌がらせに対して弱いサービスなので結局は飽きて去って行ってしまいました

結局の所内輪的なネタの面白さのハイコンテキストな要素を知らないと楽しめないのでしょうが
そういう内輪の面白さを知った同士では相手が何を面白がるかをある程度知っているので
面白い事を互いに触発し合い、より面白い事をするという
「顔も知らない誰かと協力して楽しい事をする」二次裏的エンジョイ&エキサイティングな遊びが出来る

pixivで皆がお絵かきで大喜利して居た時はpixivのユーザーや2chの人々とも
現代アートのネタを用いてある種の内輪の面白さの共有が出来ていた為に
協力し合って遊ぶ、二次裏的E&Eが出来たんだと思います

相手が面白いと思う事を自分も楽しんでやる、というのがうまく回るようになれば
皆が楽しめ自分たちも楽しい、それがいわゆるマジスタンス、E&E化した人々なんだと思います

そしてその事を踏まえて、今のpixiではがセキュリティ騒動以降このE&Eが上手く回らなくなっている
自身の従来のユーザーは気にしないセキュリティについての細かい説明を出していない状態
つまりpixiv側が嫌う二次裏的な人々が寄りつかない状態が続いていて
面白い事をする人が最初期から比べて減っている状態なのが寂しく感じられています
しかしこの騒動を通じて遊んだ人の中にはこのE&Eする素養が芽生えていて
条件さえ重なれば大発生する藻のように、ある日また大発生するのではないかと期待もしています

結局の所、義憤から抗議する、正義を振りかざす人というのは面白さが無く
本人は楽しめてるかも知れませんが中々周りを楽しませられない
前にも書きましたが目的よりも手段で遊ぶ、楽しむ行為こそが二次裏的であり
昔からふたばで言われていた二次裏の心得にあった「エンジョイ&エキサイティング」であり
確かにそこには人を楽しませられる面白さがあって
あの時の爆発的な大勢のE&Eを呼び起こしたのだと思っています

二次裏的E&E、とここでは言いましたが
大本をたどれば恐らく2chのAAリレーのような知らない人同士でAAを改造し合って描き込む
その辺が源流であり、素養は匿名でネットを使ってきた人には備わっているのではないかと思っています

それと同時にやはり上のMooo!動画やお絵かきチャットのように嫌がらせでそれらを壊して楽しむ人
自分だけが楽しければいいと思う人の悪意には弱く
身を守る為に内輪化して固まってしまう傾向もあるのだと思います
そのせいで今までは中々2ch、ふたば、ニコニコ、pixivなどの垣根を越えてのE&Eが起き辛かった
たまたまカオスラウンジという垣根を越えた共通問題が発生したために
現代アート騒動という垣根を越えた共通認識によるE&Eが起きたのではないか、と思いました

あの自分がnov君化と呼んでいた騒動、二次裏的E&Eは
相手の面白い事を、自分たちも楽しんでやる、相手の思う事を知る事、そういう相互行為であり
ネットにおける匿名文化による表現なのではないかと思っています
もっと相手を楽しませられることを想像できる人が増えるといいな、と自分は考えてます

丁度いい機会なので一旦総括的に現代アート騒動をまとめてみました
では、長い文章になりましたが拍手ありがとうございました

追記

補足的な話にさらに補足で申し訳ないのですが言葉足らずな部分もあったので
上でMooo動画の話を出した理由の一つに、けいおん絵に落書き、という点があったりします
これ、カオスラウンジが行ってるけいおんを切り刻んだりぶっ掛けたりするアートと
権利者から見れば同じけしからんもの、訴えられれば負ける物だったりします
で、同じけしからんものの優劣ってどう決まるんだろうなと個人的に考えた結果
結局はどれだけ多くの人が楽しんだかではないかと考えたのが文章の切欠にあります
けいおんのOPに二次裏界隈では受ける内輪の落書きをして面白がったように
萌え絵を切り刻んだりするのも現代アート界隈では面白い行為だったのかも知れません
(現代アートの土壌について自分はまるっきり無知なので分かりませんが)
今まで内輪向け、でウケを取ってきた行為が内輪の外に出たのが先の現代アート騒動で
そこで同じけしからん文化であるカオスラウンジ的なものと二次裏的なものが争ったのではないかと
版権イラストや写真のコラージュといったPixivやら2chやらなにやらでの二次裏的な面白さ、の侵攻があった際に
カオスラウンジ側は有効な面白さの反撃手を打てなかった
現代アートの文脈では面白いことをしていた!面白がってる人も現代アートの世界には大勢居る!と主張して
それをカオスラウンジ側はネットでの現代アートに対する無理解であり勉強して来るべきだと言ったりもしましたが
そもそも現代アート界隈での内輪受けをネットで売り出そう、というのがカオスラウンジの戦略であり
村上隆の世界戦略、現代日本っぽいものを世界に売り出すに対抗する手段だと自分達で言っていた筈なのです
つまり今回の騒動以降、カオスラウンジ勢は良くネットの有象無象の無理解を主張していますが
先に現代アートは世界で売るよりネットで売れる、といった自分達の村上対決宣言と矛盾する上に
二次裏の文脈で面白いことをして二次裏以外で笑いを取った勢に少なくともネット界隈では負けたと言ってるような物なのです
先の騒動を二次裏的面白さとカオスラウンジ的面白さの勝負として見た時
自分は二次裏勢なので贔屓目もありますがやはろカオスラウンジ勢は面白い返しが出来ずに負けたのではないかと思いました

2011年8月27日

カオスラウンジの戦略的問題の内包について

現代アートも取りあえず日常化して落ち着いてきたので
自分の考えた事を纏めておこうと思います

カオスラウンジの作風、コラージュや水ぶっかけアートの手法が問題だった
同人は自浄作用があるからセーフと書かれているのを良く見かけます
しかし個人的には今回の問題の本質とは違うのではないかと思っています

カオスラウンジの一番の問題は戦略的問題の内包、
執拗に萌絵の顔を塗りつぶしたり踏みつけたりなどオタク文化へのヘイト、恨みを込めた作風なのに
オタク文化側の権利者に自制を求める展開である事が最も大きいのではないかと考えています

カオスラウンジは何度も、これが認められないなら同人も同じだと言っていましたが
ある意味同じであるがゆえに戦略的欠陥で問題が表面化したと思っています
コンテンツ権利者が訴えないのはいくつもの理由があって

ファン層があり、ファンのコンテンツ権利者への影響が大きい

昔手塚治虫がコミケの取材を受けた時に
「漫画を描きたいと思って描いてしまう層がこれだけ居る、これが漫画業界を支えている」
と言っていました、そういう二次的な業界への影響力もさることながら
直接的にファンが購買層と被っていてファン活動を規制することがダイレクトに返ってくる事

カオスラウンジにファンがいないとは言いませんが
このファン層はコンテンツ購買層と被らず、コンテンツ権利者への影響力が小さい
「畑違い」である事、今回の問題はこの事が何より大きいのではないかと思います
これを覆すには出版業界、アニメ業界を超えて影響が出るから訴えるのは自制してくれ
と言えるくらい規模が大きくなければ無理かと思われます
しかしカオスラウンジのマーケティング元と目されているチームラボには現代アート業界との強いパイプがあり
将来的に規模が大きくなれば業界を跨いで広告することも不可能ではなかったかもしれないとも思えます

権利者から悪質さが小さく手間が掛かっているなど温情に訴える

規模が小さく無視できる範囲だったり
作り手同士の「情」に訴える面があれば訴えることまではしない、という憐憫に訴える
同人業界そのものは大きいものの作り手はほぼ個人レベルであり、個々に訴えるには相手が小さい事
またコラージュよりはトレス、トレスよりは模写、模写よりはパロディとオリジナルの手間部分が増えていけば
二次著作権の発生で争われる度合いが増えて訴え勝つことがより難しくなり
作り手同士の手間に対する温情も出てくる
権利者からみて訴訟へのリスクが大きくなって訴えづらくなるという点があるように思えます

この点カオスラウンジは商業規模が大きく不利だとも思いますが
もっと手間が掛かる方法で置き換えていれば不可能ではなかったと思います
threeというフィギュアを溶かして巨大な人物像などを作ったアーティストの方がいますが
引用元に当たる使用フィギュアの表記羅列、作成にかかった手間
それに絵をコラージュするのと違って工業製品化されたフィギュアであり
権利者から見て製作者への影響力が小さい事などから問題視されづらいのではないかと思いました
(私はthreeが個別に権利者に了解を取ってるかを知りません、取っていたら申し訳ない)
絵をただ並べて踏みつける事やプリントアウトして水をかける事等は手間が少なく
権利者に直接的嫌悪感を与えてしまう点も大きかったのではないかと思います
篠房六郎も言っていましたが数十メートル四方の砂絵などでトレスして水をぶっかけたなら
問題化されづらかったんじゃないかとも思います

直接的に権利者とのパイプがある

これは同人業界がダイレクトに出版業界、アニメ業界人も参加している事が大きく
コンテンツ作者でありながら同人も出していたり、ひいては直接的に権利者同士仲間内だったりする
非公認なだけでスタッフは公式と同じだったりする場合もある
また、同人誌を描く作者が出版業界へ入って次の世代のコンテンツ製作者になっていく
そういうコンテンツ業界人が同列に並んでいる同人業界を邪険に扱いづらい面も大きいと思われます

これもカオスラウンジは東浩紀などから角川グループとのパイプがあり
直接「角川作品だけのキメこなのようなコラージュアートを作るから許可を出してほしい」
と請け負ったりすることも(技術力があれば)可能だった筈です
実際村上隆などはアニメ業界から人材を引き入れて自作のプリキュアそっくりアニメを作ったり
イラストレータとコラボレーションしてフィギュアを作ったりもしています
(村上作品はパロディではあっても自作であり、直接コンテンツを借用はしていませんが)

損得勘定に訴える

訴えて得られるものに比べて失うものが極端に大きい場合、訴えることに躊躇する
同人は訴えるのにかかる費用を鑑みて得られる利点が少ないという事

逆に失うものより得られる利点が大きいと踏めば同人業界でも訴えられることがあります
例えばコンテンツ権利者がファン活動のコントロールを行いたいという場合
失うファン層と比較して得られるものが大きいと踏めば訴訟に踏み切ります
カオスラウンジの問題比較の際によく言われた同人業界内での自浄作用というのはこの点で
このラインを踏み越えたら失うものより得るものが大きいと権利者が判断してくる、というラインがあり
同人業界自体がたびたび訴えられたりする事でラインを見極めてきたという事があります

コミックマーケット準備会も商標については厳しく制限していますし
ピンクハウス商標問題を例としてサークル申込み冊子にも書かれています)
BL同人もJ禁等というサークル運営者内部ルールで一応の自浄を促していたりもします
昔のコナミはファン活動への制限が大きく、幾つかの訴訟などサンプルを経て
コナミ側もファン活動へのコントロールを強くした場合の購買層の醒め具合を見極めたり
同人側も作品ごとに度合いを変えたりと互いに歩み寄りを(無意識のうちに?)しています
カオスラウンジも同人業界への毟り具合のコントロールでどれだけ危険度があるかなどを
今後サンプリングしていくことで歩み寄りが出来るのではないかと思います

また、損得勘定であれば直接金銭的解決を行うことも可能です
簡単に言えばカオスラウンジの作品を納めて多大に評価されており影響力も大きいので
訴えるよりコラボレーションしませんか?という方法もあったでしょうし
訴えられてしまっても今後も別活動を続けられる形で和解金を払い後から回収する手法もあるでしょう

実際にチームラボのマーケティング戦略はこういう手法を取っていたのではないかとも言われています
チームラボの取締役が兼任するpixivで素材を回収し、チームラボが広告戦略するカオスラウンジがコラージュし
それらをチームラボとパイプがある村上隆や東浩紀が購入、パトロンとして商業価値を保証し
現代アート新規層にカオスラウンジを反村上隆の新興勢力として売り出して美術手帳などで公開
色々なメディアに宣伝し露出していくことで価値を上げて影響力を高める
そして訴訟に対しては影響力を使ったコラボレーションによる取り込みや直接的な和解金などで対応する
そういう手法を目指していたのではないか、とも言われています

権利者への訴訟自制の訴えかけとして同人業界が成功している点は
これらの点ではないかと自分は考えています
同時にカオスラウンジの問題ではこの点が何とかする事が出来た部分であり
それらをクリアすれば通ってしまったのではないかとも思えます
しかしその為には兎に角カオスラウンジの規模を大きくして影響力を高める必要があり
訴訟リスクを回避するために影響力を高める事で露出して訴訟の可能性を増やすという
自転車操業的な危険を内包していて
今回の問題はそれがうまく回らなかった事で問題化したのではないか、と感じました

自分はコラージュも水ぶっかけもアート手法としては問題はないと思っています
(された側がそれを良しとしないならバランスを持って自制を促せる状態ではあって欲しいですが)
そういう表現方法は出来る限り守られるべきだとも思っています
そしてこういう手法がまかり通った際に良しとしない層が出来ることは単純に
許可を出さないように権利者に働きかける、コラボレーションするなら不買運動するなどで
権利者にどっちの購買層を選ぶか天秤にかけてもらう事だと思います

ただこれらは民事訴訟の指針であって刑事訴訟では変わってきます
天水などの漫画で知られる花輪和一が銃刀法違反で訴えられた際
裁判において彼を収監することで漫画業界が失う影響の大きさを説いた所
それだけ影響力が大きいなら重罪にすべきだと判決が重くなったという事があったそうです
今回の問題の中でも偽札アートについては
カオスラウンジが世の中に与える影響度が大きいと判断されれば
場合によっては刑事事件として告訴される可能性もあるのではないでしょうか?
(赤瀬川事件などは社会的影響が大きいと判断された事が訴訟に影響した面があるようですし)
逆説的にカオスラウンジが世の中に与える影響度が小さいと判断されたならば
このまま書類送検などされずに放置されてしまうかもしれません

カオスラウンジは世の中にどれ位影響力があるんでしょうか?
今回の事でカオスラウンジは影響力が小さければマーケティングで失敗し
大きければ刑事訴訟の可能性が増えるという問題を抱えたように思います

興味ない人には厳しそうな長文申し訳ない
新しく問題が出てこない限り取りあえずこれで言い尽くした気はしますので…

2011年8月19日

東浩紀のスーパーフラット発言を読み解く

東浩紀発言引用

梅ラボ @umelabo の新作はまじでいい。震災後の救済、女神と天罰といった普遍的主題に加え、らき☆すた、というかキメラこなた。あれは彼のマスターピースになると思う。いままでのデータベース・スーパーフラットと違い、空間もある。コンテクチュアズにあの作品が飾れるのを誇りに思う。

東浩紀のこの発言を見るに彼自身今までの梅ラボ作品について
データーベース・スーパーフラット(気に入った物を色々貼っただけで何の起伏も無いもの)
であると指摘していて、さらにそこに双葉のキメこなが配置される事で
(今までと異なりキメこなが)マスターピースになり、空間が出来た、と言っています
これは梅ラボ作品特有であるアナログテレビの無チャンネル状態のようなノイジーで起伏のない自作部分が
双葉から借用した「キメこな」の添え物になっている、と評論家が言い切った形になってしまっているように思えます

梅ラボ自身がキメこなを作り出したならばこの東浩紀の発言も
データーベース・スーパーフラットを抜け出し一皮剥けた梅ラボ、という激励として読めるのですが
実際には彼の作風はデーターベース・スーパーフラットのままの状態であり
借りてきたキメこなの完成度が現代アートを権威付けする立場の評論家から見ても高かったという
アートとしてのキメこなの完成度と梅ラボの現状を浮き彫りにした評論家の発言として読み解けるのです

これは今回の問題について多々ある発言の中でもちょっとした笑い話として読めるのではないかと思い
追加補足的に書かせて頂きました

興味ない方には面白味のない連続テキスト更新申し訳ない…

2011年8月 7日

nov君の生態について:絶対許さないよ? 拍手お返事前に

今までは文章で更新は重ならないように控えていたけれど
何だか好評だったので、補足的なものをもう一つアップしてみる

nov君の話題、勘違いしがちな点

「絶対許さないよ」
と言ってるのはnov君ではなく、彼らは言われている方です

二次裏では荒らしの言動を真似て定型化して喋る合言葉のようなものが流行っています

二次裏は殆ど管理されない掲示板であり、IDやIPも無く自演で荒らし放題なので
(偶に管理されると擁護批判数人で口論しているように見えた会話が全部同じIPと言う事が良くありました)
スレッドにいつもと違う雰囲気を感じると突然合言葉を交わしあって新参者を見分けたり
サメの話題、朝食アンケートなどの関係ない話題でスレを流して
上がる上限の100レスを埋めてカタログなどに上がらないようにする自衛が必要でした

また荒らしの言葉尻などで面白い言動があると荒らしの主張を無視して言葉尻をあげつらい
茶化してスレを埋める事が良くあり、同じ人物がまた荒らしているように思えた時には
過去に茶化した面白言動を引っ張り出してきていじって反応を見て荒らしか判断したりします
そしてその荒らしが潰れるまでいじり続けることで板を守ってきたという歴史があります

知らないおじさんの「絶対許さないよ」もそのような定型文の内の一つで
ネットで絶対許さないよと言ってる絵を上げてるからpixivへの抗議なのではという考察がありましたが
nov君へ「絶対許さないよ」と言った知らないおじさんと同じハンドルを使う荒らしの言動を茶化しているだけで
許されなかったのはnov君の方なのです、それ以来nov君は許される事について敏感になっているのです

「けお…」なども荒らしの誤字を弄った定型ですし
つネりまん、なども「つもり>つねり」荒らしの誤字弄りの定型です
そうやって荒らしの主張をかわしつつ荒らしの言動を真似て茶化して遊ぶという自衛文化が
他にはあまり無い?文化のようで理解されない部分だったりするみたいです

こな死ねさん遅いな…何かあったのかな…
なども過去にこな死ねさんが荒らしていた頃立てたこなコラスレでの定型でしたが
今でもこなたスレが立つと使われ住人もこな死ねさんを偲び茶化して「こなた死ね」と書き込んだり
Konachan checkerという画像がこなたかチェックする様子を真似たフリーソフトまでが実際に作られたりしました

こな死ねさんは最後には
「あいつら24時間いつでもこなたスレを立ててあまつさえ俺を呼んでる、対処してくれ」
と準備板で言い出して住人に頭がおかしいと言われていましたが
実際に一日中こなコラスレを立てては「こな死ねさん遅いな…まだかな…」などと書き込んでいたので
あながち嘘でもなく、既にこな死ねさんが居なくなった今でも続く習慣になってさえいるのです
(キメこな、という名前は後から付いたものでこなコラ>moetron>キメこなの順です 閑話休題)

そうやって荒らしを弄り潰してきたという文化的な部分が「絶対許さないよ」にも含まれているのです

またnov君含めて二次裏全体?に目的よりも手段で遊ぶことを良しとする風潮があり
始めは抗議コラージュだったもののそれらにコラージュや絵で返答していくうちに
返答行為そのものの楽しさで手一杯になって目的がコラや絵で楽しむ事にすり替わってしまい
当初の抗議という目的は飽きてしまう事が多いと思うのです
頑なに抗議し続ける人というのは一部だけであまり居ないように思われます


興味ない方には文章更新申し訳ないですが
とりあえず記事をアップしてみます

追記

カオスラウンジのリスペクト元というかパクリ元というか先人がいるのを知ったので
既に有名かもしれないですが紹介してみます

http://www.triangulationblog.com/2010/07/florian-kuhlmann.html

EMILIO GOMARIZというスペインのデザイナーさん
梅ラボのフラットノイジーな感じではなく、オブジェの拡大縮小による奥行き感と
HIRAKI(!)と要所要所にキーになるオブジェを配置した曼荼羅風のコピペアートを作る方みたいですね
この文字フォントもまるっきりCHAOS*LOUNGEで使ってましたよね…旧公式ロゴ?
リンクできれば分かるのですがソックリの古いCHAOS*LOUNGEロゴがどこに行ったか不明
今回の事は別にしても面白い作品一杯なので見てみてくださいませ

http://www.archann.net/

Archan Nairというインドのデザイナーさん
パステル風の色使いのイラストと写真のコラージュという手法だとこの方も面白いです

http://www.youtube.com/watch?v=Qvoh0ZtVIW8

ORIENTARHYTHMのKAGEMUという影絵パフォーマンスアート
チームラボの影絵のコンセプトはKAGEMUが先なのかな?とも
この辺はリスペクトだろうとは思いますが先人の紹介という事でひとつ…

2011年7月22日

あまり他で書かれない現代アート騒動とキメこな問題の解説

ハイコンテクストな素材のあらまし
色々やらなくちゃと思ってることが有るのに文章書いてるのはどうかと思うけれど


どういう経緯で荒れているのかをまとめているblogとかが一杯出てきて
もう経緯は調べれば十分分かるようになったと個人的には思ったので
他ではあまり書かれていないnov君と今回の騒動の関係について、
ギャグがどう面白いかを説明するような野暮な部分ではあるのだけれど
そこで使われている素材がどういう経緯で使われるようになったのかを紐解くことで
nov君がどういう集団なのかを理解する手助けになればと思って筆を取ってみる

まず最初に前エントリーにあるように画像掲示板の人物集団は
作品を介して会話する集団だという事を心にとめておいて下さい


素材:キメこなとは

画像掲示板img鯖では一時期泉こなたが貼られると掲示板を荒らす嵐が居ました
彼はこなちゃんの画像に対して「死ね死ね死ね死ね・・・・・々々」と
ずっとポストし続けるので「こな死ねさん」と呼ばれていました
ある時こな死ねさんをからかう意図で彼が「死ね死ね」とポストしている時に
あえて「一見こなたに見えるけれど別のキャラの絵」というものを描いてアップして
そこにこな死ねさんが書き込みに来るか見極めるという遊びが流行りました
それが一連の「こなコラ」というこなちゃんと同じ右手を挙げたキャラの成り立ちです
そして当時は名前がまだありませんでしたが複数種類のこなた風の絵同士を
さらにコラージュでくっつけてキメラの状態にしたこなた「キメこな」ができました
(これも前述の画像コミュニケーションだと思います、鯖は違えど源流は同じなのです)

(補足追記:imgにはスレ内画像レスが無いのでこな死ねさんがいる時にカタログをこなたっぽい物で埋めていく事になり
カタログが同系統の絵で埋まる事が祭りの合図になったりします、某所のアンドリューWKやいたるスライムなどもこの類です)

結局こな死ねさんは管理人にメッセージを送る準備板まで荒らしたためアク禁になり
imgが荒れることもなくなったので住人はこなコラ、キメこなを忘れていきましたが
mayや4chanに転載され、特に4chanで外人に人気が出てmoetronと呼ばれ
新作を作られたりしながらひっそりと生き続けていました

そして海外や複数の画像掲示板で知る人ぞ知るキャラになっていたキメこなを
カオスラウンジという団体の梅ラボという人が目を付けました
梅ラボは自作品に複数のアニメキャラクターをバラバラにコラージュするという手法を使っていて
キメこなのようなアニメキャラの複合体が整合性を持って成り立っている状態を目指してたので
自分の作品としてキメこなを勝手に売り出してしまう事件が起きました
それが今回の騒動の最初に当たる「キメこな騒動」なのです

その後どうなったかについてはまあ、纏めblogなどを読めばわかると思うので
私が書く必要もなさそうですが、騒動の背景はこんな形で生まれました


素材:味の素、味塩、白面の烏帽子の男、開き

上の騒動が起きた際にカオスラウンジは「ネットの作品はすべて素材である」とし
自作品に勝手に利用すると宣言しました

画像掲示板novは複数ある二次裏と言われる画像掲示板の中でも突出して
前エントリーにある「画像コミュニケーション」に特化した掲示板でした
6年ほど前にアップされた1枚の「嵐集団のオフ会の様子」と呼ばれた写真を弄り続けて
(実際には掲示板嵐達とは関係なく謎のおじさんでしかなかったのですが)
コラージュを使った会話をし続けたために管理人に画像掲示板ごと消されたような背景がありました

そしてその「素材宣言」によりカオスラウンジの写真を自由にコラージュしても誰にも咎められないと解釈し
別の鯖である画像掲示板mayという場所で再びコラージュによる会話を始めました
それを過去にnovを掲示板ごと消した管理者が「黙認」した為にmayに旧novの出張所が出来ました

しかしカオスラウンジのネットにある写真類をコラージュしてみても
どうも最初の「謎のおじさん」ほど「うま味」がないと言われだしました
(彼らは元々謎のおじさんを「うま味紳士」と呼んでいました)

そこで味が薄い>コラ素材に味塩を使ってみる、という遊びの流れで味塩が使われました
面白味がない>白味がないなら白面にしてみる>平安風なので烏帽子を被せてみるという遊びで素材も生まれました
また、元々1枚しかない謎のおじさんの斜め向きの写真から正面の顔を作る過程で
顔の中央から「開いて」正面顔のように見せるコラージュ手法が根付いており
うま味のないカオスラウンジの面々を面白くできないかと色々な素材を開いてみる遊びも生まれました
プハプハ鳥などもこの流れから生まれました)
1枚しかない写真から怒っている顔を表現するために顔を赤く染めるコラージュ手法が元々ありましたが
白面烏帽子の男(黒瀬に対して白瀬と呼ばれる)を赤く染める際に顔は既に白くて染めれないので
烏帽子を赤くしてみる>味の素の瓶に似ている、という流れで味の素の瓶が素材化されたりもしました
また、「mayは独立した別掲示板なのでnovのノリは違う」と反発する住民(?)の発言を受けて
ノリが違う>アラビックヤマト糊>セメダイン、などという画像を次々に貼られて素材になる流れも生まれました

nov君は常々「テキストを書き込む暇があったら1枚の画像をアップしろ」と言っており
基本的に誰かが何かを書き込んでも返事は画像アップでしか行いません
当時ウォッチされていたカオスラウンジの一員がtwitterに「すしなう」と書き込んでいたのを見たmay住人が
こちらにケンカを売ったラウンジの当事者がのんきにすしなうなんて書き込んでると炎上しそうになるのを余所に
nov君はただカオスラウンジのアップした食事中の寿司写真を素材にロケットに乗せて飛ばしたりしていました

すしなう晒される>今だ寿司だ!とビビビッとくる>多数のnov君が同時多発的に寿司ロケットを撃ちあげる
(もともとバカな書き込みがあると取りあえず花火代わりに打ち上げるという遊びが流行っていました)
という天丼的な面白さが、最新の流れを追って見ている野次馬の間に生まれてしまうのです


それを踏まえて今回の騒動

今回のpixivの騒動()も荒れた原因はpixivが梅ラボ擁するカオスラウンジに
pixiv上にアップされていたユーザーの画像を素材化して使うことを黙認しただけでなく
カオスラウンジとコラボ企画までやり、社長がパトロンになったりした事が背景なのですが
現在「現代アート」タグで起きている事は上にあるようにネタを弄って作品で会話する事を許されたnov君が
その時々のネタへの「レスポンス」として文章の代わりに「作品」をアップしているだけなのです

絵をアップするような人は反応を見て反応が返ってくるのが楽しい、という面が多くあり
絵に即座に絵が返ってくる、誰かの絵に即座に絵を返すと流れが生まれる、を繰り返していくうちに
次第にスタンドアローンなのに同じような流れを生むブレインのない集団になってしまうのです

pixivの現代アートのネタが大量に被るのも大勢が直前のネタに対して
即座にレスポンスとしてネタにしてアップするからで、それを見ることで野次馬は天丼的な面白さを感じるし
同時に自分がアップしたネタが即座に別人に弄られて天丼化することでアップした人も反応に感化される
という流れに巻き込まれてネタアップした人が感染して自分も他人のネタに即座にネタを返すようになり
次第に画像コミュニケーションを会得したnov君化していくのです

これを理解できない外部の人、なんとネットの寵児と自称するカオスラウンジさえもが
「話し合いたいから代表者を出せ」とか「騒動を統率する人物がいる」とか言い出したりするのですが
上にあるように感染した個々人による潮流でしかないのでそれは無理なのです
カオスラウンジはカオスラウンジ宣言でこの現象がネットのムーブメントだと自分で書いており
顔のない有象無象が作品を生み出す流れがアートで、それを自分達が売り出していくと言っていましたが
実際にはカオスラウンジ宣言のその部分はただの攻殻機動隊の受け売りで
本質を全く理解していなかったのではないかと今回の騒動から見えてきたように思えます


また長文ごめん!

追記、twitterでKyogoさんとお話しした際に現代アートとキメこなちゃんの話題になって
現代アートとは人の普遍的なテーマを扱ったコンセプトがあって
それについての思索を呼び起こすものである、という話を頂いた際に
ではnov君は文字から解放されたコミュニケーション、人と人との対話という普遍的なテーマを偶然扱った
ノンコンセプチュアルな現代アートと言えないだろうか、という提案をしてみた

その教唆としてキメこなちゃんは「こなたと認識できるか?」という
キャラクター性のボーダーを探るコンセプト対話のなかで出力された物で
それらを複合して作られた誰でもないアニメキャラ「キメこな」が偶然4chanに転載され
anonymous達にMoe+Metatron(萌複合体)として誰でもないアニメキャラ「moetron」と名付けられた事は
言葉の通じないanonymousへ作者の説明しなかったコンセプトが伝わり偶然同じ名前を付けるという
共時性、シンクロニシティーが起きており、これを現代アートと言えるのではないか、とお話ししてみました

キメこなちゃんの背景を知らなければわからないというのは受け手の思索を拒絶する側面のある
ハイコンテクストな部分なのでアートであるとは気づき辛いのですが、知ってさえいれば
この二次裏で生まれたキャラが海外にわたって同じコンセプトの名前が付くという共時性を
アートと捉えられる=キメこなは現代アート と言えるのではないでしょうか?
つまりその手法の元になった「画像による対話」が行われているpixivの現代アートタグの現象も
個人的には現代アートと読み解けるのではないかと思います

2011年7月21日

今回の騒動の表と裏

なんでpixivでやるのか分からないという人もいるみたいだけれど
色々な人がpixivに投稿していた絵を素材に梅ラボがコラージュを作っていて
運営がその梅ラボがいるカオスラウンジとコラボレーションしていた問題が基にある
pixivの投稿を使われた被害者が運営に訴えても梅ラボ作品が掲載され続けた事が発端

そんな運営に対してこれを切欠にアカウント剥奪されたなら退会してもいいやと思った絵描きさんが
今回のコラージュ問題を茶化して絵を描き始めて
絵描きさんが描いたキャラが可愛いから描いてみようと他のユーザーにも広がり始めた状態

でもこれは結局は表の顔であって裏にあるのは
pixiv社長がインタビューで語っていた現代アートの発表場にしたいという思惑だと思われる
この思惑があるからこそユーザーの苦情を放置してまで梅ラボを擁護したり
村上隆を呼んで写真なのにランキング1位にならせてみたりしていたわけで
これらを現代アートの常連ランカーとして呼び水につかい
発表場としてユーザーを呼び寄せたいという思惑があり続ける以上
写真はダメ、と言い出せないしコラージュがダメとも言い出せない
(現状写真コラージュをアップすると運営削除されますが)
ひっそり梅ラボや村上隆の作品から現代アートのタグを外したのも
タグによるランキングロックをかけてる為ランカーになれなくなるからで
運営は現代アート嵐が去ったらランクロックを外して再デビューさせる心積もりなのでしょう

しかし問題はここで嵐と思っている人たちが実際には楽しくてやっているだけであり
たとえある程度鎮静化してもちょっとした切欠があれば再燃する
嵐のような彼らは元々イラストコミュニケーションを体現するような集団であり
誰かが作品をアップするとすぐさまそれに呼応したネタで別の人が作品をアップする
リアルタイムに作品で会話をし続けたせいで画像掲示板を追い出された集団なのです
いま現代アートタグは彼らの会話で構成されていてどこかにブレインが居るわけでもない
ただ個々人が作品による会話を楽しんでいるだけなのです
ちょっとでも楽しいと思った人が同じようにコラボレーションした作品を上げてみれば
それに呼応して流れが出来ることに気づき、作品による会話方法を知った人は
もう彼らと同じように、作品で会話する方法が対話手段の一つとして感染し、確立してしまう
一たび同じようなムーブメントが起きれば呼応する大勢の中の一人になってしまうのです
これは奇しくもカオスラウンジ宣言にある

そこは常に、膨大に、匿名的な想像力がうずまき、作品未満の作品、コンテンツ未満のコンテンツが現れては消える場所であり、にもかかわらず、作者性に目覚めてしまった有象無象の集う場所である。 増殖を続けるアーキテクチャは、アートの神秘性を認めない。そこでは、すべてが可視化され、分類され、操作可能となる。 内面などない。知性も感性も、すべてはアーキテクチャ上で、システマチックに組み立てられてゆく。

の体現なのです
現代アートタグは事実上彼らの対話手段になっていて
彼らを追い出すには彼らの対話手段を禁止するしかなく
pixivが絵描きより現代アートを優先したいと思っている限り根絶は不可能で
ちょっとした切欠で再燃する問題として今後ずっと抱え込むことになると思われます

久々に長文書いてみた

追記
色々なところで言われてはいるけれど今回の出来事の補足的なものにリンクを
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/derek_sivers_how_to_start_a_movement.html
http://togetter.com/li/164101
http://togetter.com/li/162335
http://blog.livedoor.jp/hutabatosiaki/archives/1599988.html
最初の方だけ読めば十分わかるよ!
ただまぁ経緯は上のリンクだけれど本質は今回の記事にあると思うのです
カオスラウンジがどういう志なのかというのをカオスラウンジの側から見たい人は
http://togetter.com/li/155479
http://aar.art-it.asia/u/admin_edit1/1Nztk67sP3ZvIjUiWOLd
上が要約、下が原文です

2010年12月21日

多少面白みを付け加えれたら良いのですが

ちょっと前の日記で言及したナチスのたとえ話について
読んでも面白さを感じられる解説が出来たら良いかなと

あの話はニーメラーの詩といわれるお話で
共産主義者が攻撃されたとき私は声を上げなかった云々という文章で始まり
最後に私が攻撃されたときに誰も声を上げなかった
という落ちで締めくくられる話です、ニーメラーは教会の人間でした

で、時代背景とかを知らないと分かりづらいんですが
最初に共産主義者が攻撃されたとき、教会の人間である「私」は
実際には声を上げなかったどころか圧倒的な支持をしています
これは共産主義が神を否定する碌でもない主義だったからです

ドイツも自分たちが熱狂的なナチ信奉者だった事を隠している節があって
この話もその辺の背景を踏まえないと単純に順番に弾圧されましたという
物語にしか読みづらい部分があると思うのですが
この話はドイツ全体がほぼ皆ナチ信奉者だった事と
教会が共産主義者を弾圧することを後押ししてた事を踏まえて考えるに

弾圧する側が自分で気づいて異議を唱えなければ
弾圧される側は常に弱者なので絶対にひっくり返せない
そして声を上げないどころか得てして弾圧する側に回ってないですか?

という教訓なんではないかと私は思っています
実際この時弾圧された共産主義者でさえ多数になれば教会を弾圧してましたし
ユダヤ人も自分がメジャーになった時弾圧する側に回ったりしました
大事なのは多数になった時に弾圧に異を唱えられますかという話なのではないかと
なかなか許容するのは難しいことだとは思いますけれど

2010年12月15日

これで最後にしたい

ネットで見えている範囲が実際のマジョリティかは自分には分からないんですが

昔、児童ポルノが規制されるという段になって
漫画はセーフだし反対する三次ロリータ好きは異常者という大きな声に押されて
実在児童のポルノは取り締まられてもやむなし、という論調に見えました
当時何度かその危惧を書いてきましたが自分はその考えは相当危うい思考だと思っていて
そもそも児童ポルノがなぜ取り締まられるか、についての大前提みたいなものが
考えられていないのではないか?と思えてなりませんでした

自分はたとえ実在する児童がモデルのポルノでもポルノの表現としては守られるべきで
児童ポルノは自立が出来ていない、保護者が必要な弱者が拒否することも出来ずに
強制的にポルノ生産に従事させられている事を福祉の観点から問題視すべきだと思っています
ポルノ表現、猥褻なものの中で過剰だから規制するというのは危険だと思うのです

ポルノ表現としての土俵に立っている以上、二次元三次元とかそういう区分はあまり関係がなく
多くの一般人からは必要ない、目をひそめたくなる物でしかないと思うのです
私はロリコンなのでその時切り捨てられる側だったせいもありそういう視点に敏感でしたが
その時切り捨てた側の漫画ポルノ愛好家たちは鈍感だったのではないかと感じていました

そして今回また、性表現漫画以外はセーフだから反対するのはポルノ好きな異常者
一部はやりすぎであり規制されて当然、という声を良く見かけて
もちろんそういう声を上げている人が声が大きいだけのマイノリティであればいいのですが
本気で漫画表現のうち性表現だけが異常なのだから一部は規制されて当然と思っていて
自分たちが立っている側が使っている表現、たとえば暴力的、反社会的な表現は
大丈夫だと思っているなら相当危ういと思うのです

こういう線引きで妥協点だといって一部を差し出して自分の立っている側は安全だと思い込むのは
線引き自体がその時の情勢で簡単に移動することが想像出来ていないように思えて仕方ありません
世の中の趨勢が「漫画は公の秩序や道徳を乱す、低俗で必要ないから規制すべき」に傾いだら
漫画すべてが表現の一部として切り捨てられる事になる、というのを笑い話だと思いますか
世の中の趨勢を「国家が、権力が」に置き換えてみてください
漫画は世の中ですでに大きな勢力だから民主主義では簡単には切り捨てられないと思いますか?
今この瞬間はそうでしょうが性表現、殺人、暴力、賭博、飲酒喫煙、順番に切り崩していって
そういう表現が多く含まれてきた漫画フィクション愛好家は異常者という声の方が大きくなったら
また将来新しい表現が生まれて漫画が衰退していったときに、フィクション規制の一部として
既に古い漫画はフィクション規制の妥協点として表現全体を守るためだと差し出されたらどうしますか
世の趨勢で自分がマイノリティになって切り捨てられる側に回ったらどうしますか
ナチスの話はただ順番に規制されたという話ではなく大勢がナチ信奉者だったから起きたのです
気づいたら自分はナチ信奉者だから規制されない、と言う側に立っていませんか?

今回異議を唱えている漫画家や出版社は、恐らくポルノ表現そのものを守るためではなく
そういう一部の線引きをすることが全体の危険になる事を想像しているからだと思うのです
低俗に見える部分を引き合いに出してこれらは過剰だから規制されて当然とか
条例に反対する人間に対して極論、考えすぎ、過剰反応、妥協点や落し所を見出さない傲慢だとか
売り上げ優先の拝金業界だとかの論調をみて感化されてしまいそうになったら
自分がマイノリティ側になって妥協点として切り捨てられる時の事を想像して欲しいのです


あんまりこういう話題書いても読んでる人が不快になるだろうし
エンターテイメントじゃないから楽しみが欲しくてここに来てくれている人を不快にさせるようで
出来るだけ書きたくはなかったんですが、やっぱり書いておかなくちゃいけない気もして
こういう事書き出すと止まらない方なんで、出来ればこれっきりにして
毎回開催されていたコミケが実際には真夏の夜の夢のような情熱的で儚いもので
自分の誕生日の翌日に可決された条例が思い返したときに分岐点だったりしないように願っています


追記として区分の問題であり過剰反応だという話について少しだけ反論を
10年以上昔、漫画規制される際に調べたので古い情報かもしれませんが
都の不健全図書指定を雑誌が受けた場合コンビニで販売が出来なくなり
3回指定を受けると廃刊するという制度があり、今も運用されている筈です
そして当時から特定の出版社が懲罰的に連続指定されているのではという懸念がありました
実際に連続指定される事例があり、何故指定されたかが不透明で
事実行われるかは別として袖の下を要求されて従わない場合に指定されるなどと言うことが
起きる可能性のある制度であるという事が問題視されていました
今回の条例も同じような恣意的運用の可能性を残しています
一般流通の本が成人指定流通にしか載せられなくなるというのは死活問題で
それを懸念して萎縮したりするのは避けられませんし
運用者が誠実であることを期待する制度というのは良くない制度だと思います
そもそも規制というのは読者が編集部に抗議して受け入れされる物であって
権力者が出版社に言うものじゃないのです

2010年12月13日

少女とその甥っこ少年の近親姦と性的倒錯を賛美するページ

うちはそういう内容です
違法な性行為描写の禁止という場合
法律で禁止されていない国が舞台だとどうなんですか
違法になるより過去が舞台の場合はどうなりますか?

あまり思想的なことは読む人に嫌悪感を与えるだろうと控えてましたが

日本の漫画アニメが受けているのは
玉石混淆の雑多な取るに足らない下らないものがいくらでもあって
多様性に満ちているからだと思っています
一見下らない本に見えてもそれが受け手にどういう影響を与えるかは
千差万別であって低俗で悪影響しかないと一方的に決めるのは
仮に本を読んだ人間でさえ、それを良い物悪い物に分けたとしても
他人にまで押し付けるのはあってはならないと思うのです

その昔、ソ連の映画はとてもお金が掛かっていて
他の国では作る事が出来ないような内容でした
会戦シーンを取るために国が衛星を飛ばしてくれるのは
多分ソ連のような国家くらいだったと思うのです
しかしそれはすでに世界中が雑多な映画に満ちていて
それらに勝つために一点突破的に統制支援する必要があったからです
後追いのソ連ではアメリカのような商業映画に対して
同じようにお金を掛けていては勝てないからです

日本は漫画アニメにおいては先駆者であり
後追いの国策統制支援に追い立てられることはあっても
自ら多様性を狭める必要はないのです
上記ソ連映画もそうですし、たとえば韓国は漫画に国策で力を注いでいますが
代わりに国の支援する国にとって都合のいい漫画以外については
規制が大きく自由な表現が出来ません

昔、サムライスピリッツというゲームがありましたが
出た当初、日本版は血が出て身体が切れる演出があって
海外版は白い液体に差し替えられていました
今は逆に日本版で体の切断演出がなく、海外版にあるようになっています
アメリカなどでは50年代頃から表現規制について厳しく取り締まったところ
メディアの多様性が失われて競争力をなくしてしまった、という反省があり
年齢制限さえあれば、その中では表現についての規制は緩和される方向に進んでいます
最も子供向けは非常に厳しく、ドラゴンボールやワンピースがそのまま子供向けに放送できませんが
少なくとも表現全体について規制を行うと競争力を失うというのがアメリカが学んだ反省点です

日本がもし漫画アニメ、ゲームなどを支援するというのなら
行うべきは多様性を広げるための支援であり
国家が統制するような方向であれば支援はしない方がマシです
ロリコンフェニックスがロシアで大人気とか誰が分かっていたでしょうか
妖獣教室が海外アニメで人気があるとか?
国家が売り込むことじゃないというのは分かりますが
売り込みたいからと国が都合の良いように綺麗な漫画へ統制しようとすれば
多様性と価値が失われてしまうのです
個人や団体が低俗だとして多様性を規制しようというのは間違いです
多様性には一見低俗なものだって含まれるのです
多様性に価値がある、というのは間違いでしょうか

ドラゴンボールやワンピースをそのままでは子供が見れなくなるのはどう思いますか
流血が、暴力が、喫煙が、飲酒が漫画表現から規制されたらどう思いますか?
反社会的性表現規制の延長にそれら反社会行為全般の規制があるとは思えませんか?

暴力的、反社会的、規範に反する内容が、結果的にどう子供に影響を与えるかは
千差万別で神のみぞ知るというのが正しいのではないでしょうか
本人が見たくないものをうっかり見ないように分別する必要はありますが
たとえ大人の目から、性趣向漫画が、不良漫画が、暴力漫画が、賭博漫画が、
低俗に見えて悪影響しか与えないように見えたとしても
子供が真に欲して努力したなら手が届く範囲にあるべきだと私は思います

そして何より、自分はそういう低俗なものが好きなのです
それを奪わないでください

2010年9月28日

うーん

書き出すと止まらないし読んでも面白くない人が多そうだから
あんまり書かないで居たけれど
このままだと日本の排他的水域内に中国海軍が出るようになって
日本の漁船が拿捕拘束され危険であると近寄れなくなり
そのまま上陸制圧という竹島や南シナ海と同じ流れで実効支配されそう
愚痴だけ書いても面白くないので二次大戦の日中戦争のお話を書いてみる
自分の適当な歴史認識なので間違いも多そうですが

日本が盧溝橋事件から第二次上海事変あたりをうけて本格的な戦争に
踏み込んだ原因は日本側から見ると在中邦人の安全確保のためでした
第二次上海事変もドイツの軍事顧問と蒋介石が北支日本軍を排除するために
計画して上海租借の日本領への挑発攻撃を繰り返した中国側の戦闘が原因ですが
背景になる排日事件の原因の中国国民の反日感情は日本の拡大路線にありました

当時中国では外国人排斥運動が盛んで、特に日本は前の上海事変、満州事変と
済南事件や先駆けての一次大戦の敗戦処理の二十一か条の要求で反日感情が高く
邦人が上海租借や済南事件、通州事件などで被害を受けていました
その原因は中華政府の反日政策でありこれを打倒し親日政権を樹立すべし、との
方針を立てた日本が南京攻略によって蒋介石政府を倒そうとしたのが
日中戦争の切欠です

そもそも当時の中国は新市場として列強各国が食い物にしていた状態で
門戸開放政策という連合による機会均等として食いわけをしていた中で
遅れて立った列強の日本は取れる機会は独占すべしとの方針を立て
日清日露戦争で得た満州・遼東半島の既得権益を独占し
遼東半島の向かいである青島も一次大戦の敗戦処理でドイツから奪うことで
黄海から出る中国の船を遼東青島で封鎖できる状態にしようとしましたが
列強の三国干渉やパリ講和会議などをうけて権益の独占は出来ませんでした

この中国を巡る連合・アメリカとの確執が二次大戦を引き起こした原因になりました
二次大戦に日本が参戦した遠縁はパリ講和会議での人種差別撤廃案への反発で
この時の連合への不信感と権益への度重なる干渉が日本の世論に影響し
また直接的な二次大戦参戦の原因はアメリカイギリスオランダによる禁輸でした

日中戦争は上記の第二次上海事変、南京陥落後蒋介石が重慶へ隠遁すると
日本は勝ち続けてもただただ長く中国の奥へ進むことが出来ない泥沼になりました
そして中国に親日政権を建てられてしまうと日中満州による経済ブロック圏になり
中国における門戸開放自由市場を脅かすとみた連合による対日禁輸が行われます
日本は日中戦争のための資源の90%をアメリカからの輸入に頼っており
これを禁輸された場合、数年で戦争を続けることが出来なくなる状態でした
日中戦争勝利による親日世間樹立は日本の世論も政府も軍も後押しする政策であり
既に大量の戦死者を出したのに成果無くこれに折れるわけには行きませんでした

そこで日本は英米が対日禁輸を解除したほうが得であると判断させるべく
備蓄資源の残る短期決戦にて太平洋および東南アジアの米英軍を壊滅させ
禁輸解除と日中戦争への不介入を条件に講和させるという方針を立てました
これが日本の二次大戦の参戦、太平洋戦争の勃発です

こういう背景を見れば日本の第二次世界大戦への参戦の回避は
相当昔から方針転換が無ければ回避不可能だろうと思えてきます
そして同時にどんな国でもこのまま座しても死ぬ状況に追い込んでしまえば
ごく小さな希望にすがって無茶な博打を打ってしまいかねないのも分かります

忘れがちですが第二次上海事変までは中国とドイツは友党関係で
上海南京で壊滅した中国に見切りをつけたドイツが日本に乗り換えたのが
日本の枢軸入りの遠縁なので、そのまま中独が友好関係のままだったら
二次大戦の東南アジアの様相も随分変わったかもしれません