2011年7月21日

今回の騒動の表と裏

なんでpixivでやるのか分からないという人もいるみたいだけれど
色々な人がpixivに投稿していた絵を素材に梅ラボがコラージュを作っていて
運営がその梅ラボがいるカオスラウンジとコラボレーションしていた問題が基にある
pixivの投稿を使われた被害者が運営に訴えても梅ラボ作品が掲載され続けた事が発端

そんな運営に対してこれを切欠にアカウント剥奪されたなら退会してもいいやと思った絵描きさんが
今回のコラージュ問題を茶化して絵を描き始めて
絵描きさんが描いたキャラが可愛いから描いてみようと他のユーザーにも広がり始めた状態

でもこれは結局は表の顔であって裏にあるのは
pixiv社長がインタビューで語っていた現代アートの発表場にしたいという思惑だと思われる
この思惑があるからこそユーザーの苦情を放置してまで梅ラボを擁護したり
村上隆を呼んで写真なのにランキング1位にならせてみたりしていたわけで
これらを現代アートの常連ランカーとして呼び水につかい
発表場としてユーザーを呼び寄せたいという思惑があり続ける以上
写真はダメ、と言い出せないしコラージュがダメとも言い出せない
(現状写真コラージュをアップすると運営削除されますが)
ひっそり梅ラボや村上隆の作品から現代アートのタグを外したのも
タグによるランキングロックをかけてる為ランカーになれなくなるからで
運営は現代アート嵐が去ったらランクロックを外して再デビューさせる心積もりなのでしょう

しかし問題はここで嵐と思っている人たちが実際には楽しくてやっているだけであり
たとえある程度鎮静化してもちょっとした切欠があれば再燃する
嵐のような彼らは元々イラストコミュニケーションを体現するような集団であり
誰かが作品をアップするとすぐさまそれに呼応したネタで別の人が作品をアップする
リアルタイムに作品で会話をし続けたせいで画像掲示板を追い出された集団なのです
いま現代アートタグは彼らの会話で構成されていてどこかにブレインが居るわけでもない
ただ個々人が作品による会話を楽しんでいるだけなのです
ちょっとでも楽しいと思った人が同じようにコラボレーションした作品を上げてみれば
それに呼応して流れが出来ることに気づき、作品による会話方法を知った人は
もう彼らと同じように、作品で会話する方法が対話手段の一つとして感染し、確立してしまう
一たび同じようなムーブメントが起きれば呼応する大勢の中の一人になってしまうのです
これは奇しくもカオスラウンジ宣言にある

そこは常に、膨大に、匿名的な想像力がうずまき、作品未満の作品、コンテンツ未満のコンテンツが現れては消える場所であり、にもかかわらず、作者性に目覚めてしまった有象無象の集う場所である。 増殖を続けるアーキテクチャは、アートの神秘性を認めない。そこでは、すべてが可視化され、分類され、操作可能となる。 内面などない。知性も感性も、すべてはアーキテクチャ上で、システマチックに組み立てられてゆく。

の体現なのです
現代アートタグは事実上彼らの対話手段になっていて
彼らを追い出すには彼らの対話手段を禁止するしかなく
pixivが絵描きより現代アートを優先したいと思っている限り根絶は不可能で
ちょっとした切欠で再燃する問題として今後ずっと抱え込むことになると思われます

久々に長文書いてみた

追記
色々なところで言われてはいるけれど今回の出来事の補足的なものにリンクを
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/derek_sivers_how_to_start_a_movement.html
http://togetter.com/li/164101
http://togetter.com/li/162335
http://blog.livedoor.jp/hutabatosiaki/archives/1599988.html
最初の方だけ読めば十分わかるよ!
ただまぁ経緯は上のリンクだけれど本質は今回の記事にあると思うのです
カオスラウンジがどういう志なのかというのをカオスラウンジの側から見たい人は
http://togetter.com/li/155479
http://aar.art-it.asia/u/admin_edit1/1Nztk67sP3ZvIjUiWOLd
上が要約、下が原文です