2010年12月21日

多少面白みを付け加えれたら良いのですが

ちょっと前の日記で言及したナチスのたとえ話について
読んでも面白さを感じられる解説が出来たら良いかなと

あの話はニーメラーの詩といわれるお話で
共産主義者が攻撃されたとき私は声を上げなかった云々という文章で始まり
最後に私が攻撃されたときに誰も声を上げなかった
という落ちで締めくくられる話です、ニーメラーは教会の人間でした

で、時代背景とかを知らないと分かりづらいんですが
最初に共産主義者が攻撃されたとき、教会の人間である「私」は
実際には声を上げなかったどころか圧倒的な支持をしています
これは共産主義が神を否定する碌でもない主義だったからです

ドイツも自分たちが熱狂的なナチ信奉者だった事を隠している節があって
この話もその辺の背景を踏まえないと単純に順番に弾圧されましたという
物語にしか読みづらい部分があると思うのですが
この話はドイツ全体がほぼ皆ナチ信奉者だった事と
教会が共産主義者を弾圧することを後押ししてた事を踏まえて考えるに

弾圧する側が自分で気づいて異議を唱えなければ
弾圧される側は常に弱者なので絶対にひっくり返せない
そして声を上げないどころか得てして弾圧する側に回ってないですか?

という教訓なんではないかと私は思っています
実際この時弾圧された共産主義者でさえ多数になれば教会を弾圧してましたし
ユダヤ人も自分がメジャーになった時弾圧する側に回ったりしました
大事なのは多数になった時に弾圧に異を唱えられますかという話なのではないかと
なかなか許容するのは難しいことだとは思いますけれど