2010年9月28日

うーん

書き出すと止まらないし読んでも面白くない人が多そうだから
あんまり書かないで居たけれど
このままだと日本の排他的水域内に中国海軍が出るようになって
日本の漁船が拿捕拘束され危険であると近寄れなくなり
そのまま上陸制圧という竹島や南シナ海と同じ流れで実効支配されそう
愚痴だけ書いても面白くないので二次大戦の日中戦争のお話を書いてみる
自分の適当な歴史認識なので間違いも多そうですが

日本が盧溝橋事件から第二次上海事変あたりをうけて本格的な戦争に
踏み込んだ原因は日本側から見ると在中邦人の安全確保のためでした
第二次上海事変もドイツの軍事顧問と蒋介石が北支日本軍を排除するために
計画して上海租借の日本領への挑発攻撃を繰り返した中国側の戦闘が原因ですが
背景になる排日事件の原因の中国国民の反日感情は日本の拡大路線にありました

当時中国では外国人排斥運動が盛んで、特に日本は前の上海事変、満州事変と
済南事件や先駆けての一次大戦の敗戦処理の二十一か条の要求で反日感情が高く
邦人が上海租借や済南事件、通州事件などで被害を受けていました
その原因は中華政府の反日政策でありこれを打倒し親日政権を樹立すべし、との
方針を立てた日本が南京攻略によって蒋介石政府を倒そうとしたのが
日中戦争の切欠です

そもそも当時の中国は新市場として列強各国が食い物にしていた状態で
門戸開放政策という連合による機会均等として食いわけをしていた中で
遅れて立った列強の日本は取れる機会は独占すべしとの方針を立て
日清日露戦争で得た満州・遼東半島の既得権益を独占し
遼東半島の向かいである青島も一次大戦の敗戦処理でドイツから奪うことで
黄海から出る中国の船を遼東青島で封鎖できる状態にしようとしましたが
列強の三国干渉やパリ講和会議などをうけて権益の独占は出来ませんでした

この中国を巡る連合・アメリカとの確執が二次大戦を引き起こした原因になりました
二次大戦に日本が参戦した遠縁はパリ講和会議での人種差別撤廃案への反発で
この時の連合への不信感と権益への度重なる干渉が日本の世論に影響し
また直接的な二次大戦参戦の原因はアメリカイギリスオランダによる禁輸でした

日中戦争は上記の第二次上海事変、南京陥落後蒋介石が重慶へ隠遁すると
日本は勝ち続けてもただただ長く中国の奥へ進むことが出来ない泥沼になりました
そして中国に親日政権を建てられてしまうと日中満州による経済ブロック圏になり
中国における門戸開放自由市場を脅かすとみた連合による対日禁輸が行われます
日本は日中戦争のための資源の90%をアメリカからの輸入に頼っており
これを禁輸された場合、数年で戦争を続けることが出来なくなる状態でした
日中戦争勝利による親日世間樹立は日本の世論も政府も軍も後押しする政策であり
既に大量の戦死者を出したのに成果無くこれに折れるわけには行きませんでした

そこで日本は英米が対日禁輸を解除したほうが得であると判断させるべく
備蓄資源の残る短期決戦にて太平洋および東南アジアの米英軍を壊滅させ
禁輸解除と日中戦争への不介入を条件に講和させるという方針を立てました
これが日本の二次大戦の参戦、太平洋戦争の勃発です

こういう背景を見れば日本の第二次世界大戦への参戦の回避は
相当昔から方針転換が無ければ回避不可能だろうと思えてきます
そして同時にどんな国でもこのまま座しても死ぬ状況に追い込んでしまえば
ごく小さな希望にすがって無茶な博打を打ってしまいかねないのも分かります

忘れがちですが第二次上海事変までは中国とドイツは友党関係で
上海南京で壊滅した中国に見切りをつけたドイツが日本に乗り換えたのが
日本の枢軸入りの遠縁なので、そのまま中独が友好関係のままだったら
二次大戦の東南アジアの様相も随分変わったかもしれません