さて、前回は日本がソ連邦入りしたりドイツのポーランド侵攻が始まるまででしたが
その後どうなってるかと言いますと…内政ばかりでスパイ資金を捻出するため
消費財をどんどん使います、同時に消費財の要求を減らす介入主義に
余った分が資金化するのでお金を増やすには目下その辺で何とか
あと自動交易を外して多少不利でも余裕だらけのエネルギー資源を売りまくります
(ウクライナはスタリノという場所が300超えるエネルギー資源産出、ここ有名なのかな…)
そして…
1939年 9月 28日 20:00 : ポーランドで “モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲” が発生
1939年 9月 28日 20:00 : ドイツがポーランドを併合
1939年 9月 28日 20:00 : ドイツはモロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲において “協定を遵守する” を選択したとのことです
1939年 9月 28日 20:00 : スロヴァキアで “モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲” が発生
1939年 9月 28日 20:00 : ハンガリーで “モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲” が発生
1939年 9月 28日 20:00 : ルーマニアで “モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲” が発生
1939年 9月 28日 20:00 : 我が国に “モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲” が発生した1939年 10月 1日 20:00 : 日本はオートメドン事件において “これらの書類は無関係だ” を選択したとのことです
1ヶ月余りで終わった独・ポーランド戦争
ソ連は歴史とは違い連合戦を恐れて手出しせず、しかしちゃんと東側をくれたドイツ
新国境に主力自動車化歩兵を移動…バルバロッサに備える
オートメドン事件は日本が南進してもイギリスは感知しない、との英国秘密文章を
ドイツが英国商船から押収した事件、実際この影響が大きく日本は南進北進御前会議にて
海軍南進派を勢いづかせ、南進が決まったことをソ連スパイのゾルゲに察知され
東ソ連戦力をシベリア鉄道での西部へ輸送を可能にした上
アメリカに介入口実を与えてしまうことになります
大イベントの最初のきっかけですがここ(ゲームAI)では無視してます…
しかも南進北進御前会議イベントが無いので日本は無条件南進します
ハルノートMODの前に当たる御前会議MODも欲しいですね…
1939年 11月 9日 0:00 : ドイツはアルトマルク号事件において “ノルウェー侵攻に向けた準備をする” を選択したとのことです
1939年 11月 9日 0:00 : イギリスはアルトマルク号事件において “ノルウェー侵攻計画を練る” を選択したとのことです
1939年 11月 9日 0:00 : ノルウェーはアルトマルク号事件において “イギリスに抗議する” を選択したとのことです
イギリスがノルウェー侵攻を企てたことでドイツはデンマーク及びノルウェーがイギリスの手に落ち
海峡を封鎖されることを恐れヴェーゼル演習というデンマークへの圧力をかける作戦と同時に
イギリス海峡を迂回する航路を得るために自らノルウェーを押さえる作戦に出ます
1939年 11月 16日 0:00 : 我々はフィンランドの冬戦争において “要求の受け入れを強く迫る” と選択した
1939年 11月 16日 0:00 : フィンランドは冬戦争において “かかってこい! 相手になってやる!” を選択したとのことです
1939年 11月 16日 0:00 : 我が国に “フィンランドの冬戦争 ― 要求を拒否” が発生した
1939年 11月 16日 0:00 : ソビエト連邦がフィンランドに対して宣戦を布告
1939年 11月 16日 0:00 : モンゴルはソビエト連邦の側に立ってフィンランドに宣戦を布告
1939年 11月 16日 0:00 : アメリカ合衆国はソビエト連邦 と モンゴルの側に立ってフィンランドに宣戦を布告
1939年 11月 16日 0:00 : フィリピンはソビエト連邦, モンゴル と アメリカ合衆国の側に立ってフィンランドに宣戦を布告
1939年 11月 16日 0:00 : リベリアはソビエト連邦, モンゴル, アメリカ合衆国 と フィリピンの側に立ってフィンランドに宣戦を布告
1939年 11月 16日 0:00 : 日本はソビエト連邦, モンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン と リベリアの側に立ってフィンランドに宣戦を布告
1939年 11月 16日 0:00 : 満州国はソビエト連邦, モンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン, リベリア と 日本の側に立ってフィンランドに宣戦を布告1939年 11月 22日 20:00 : スウェーデンはフィンランドの冬戦争 ― スウェーデンの不介入において “義勇兵と武器を供与する” を選択したとのことです
1939年 11月 22日 20:00 : フィンランドで “スウェーデンの物資援助” が発生
ソビエトにとってレニングラード背後までフィンランド領があって芬蘭-がどこかと同盟すれば
一番脆弱な唯一の大西洋側軍港を晒していることになるので、背後に当たる州を割譲せよと
要求したことにより「冬戦争」が始まります、史実では芬蘭軍はスキー兵や
モロトフカクテルと呼ばれる火炎瓶などで応戦し大きくソビエトに被害を与えました
が、今のソ連にはアメリカ、日本という大きな味方が居た上、蘇フィン戦争があると知ってたので
きっちり最新の装備を前線に貼り付けていたため、そんなには苦戦しない予定でしたが…
1939年 12月 1日 20:00 : 中国国民党が広西軍閥に対して宣戦を布告
1939年 12月 1日 20:00 : 西北三馬軍閥は中国国民党の側に立って広西軍閥に宣戦を布告1939年 12月 7日 20:00 : 中国国民党が中国共産党に対して宣戦を布告
1939年 12月 7日 20:00 : 西北三馬軍閥は中国国民党の側に立って中国共産党に宣戦を布告
ここ中国軍閥内戦発生、これは下手をすると共産党が消えかねないし
西安事件発生で国共合作になり国民党と同盟を組まれてしまう可能性もあるので
あわてて内戦介入、平時には中国共産党は同盟を組んでくれないものの
戦争が不利な状況では組んでくれる模様、アメリカ、日本に続き3国目の連邦国家へ
しかし…
1939年 12月 7日 23:00 : 中国共産党が我が国とモンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン, リベリア, 日本 と 満州国との軍事同盟に参加
1939年 12月 7日 23:00 : 中国共産党はソビエト連邦, モンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン, リベリア, 日本 と 満州国の側に立ってフィンランドに宣戦を布告
1939年 12月 7日 23:00 : ソビエト連邦は中国共産党の側に立って中国国民党 と 西北三馬軍閥に宣戦を布告
1939年 12月 7日 23:00 : アメリカ合衆国はソビエト連邦, 中国共産党 と モンゴルの側に立って中国国民党 と 西北三馬軍閥に宣戦を布告
1939年 12月 7日 23:00 : 日本はソビエト連邦, 中国共産党, モンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン と リベリアの側に立って中国国民党 と 西北三馬軍閥に宣戦を布
1939年 12月 7日 23:00 : ソビエト連邦が山西軍閥に対して宣戦を布告
1939年 12月 7日 23:00 : アメリカ合衆国はソビエト連邦 と モンゴルの側に立って山西軍閥に宣戦を布告
1939年 12月 7日 23:00 : 日本はソビエト連邦, モンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン と リベリアの側に立って山西軍閥に宣戦を布告
1939年 12月 7日 23:00 : 中国共産党はソビエト連邦, モンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン, リベリア, 日本 と 満州国の側に立って山西軍閥に宣戦を布告1939年 12月 9日 20:00 : 雲南軍閥が新彊 と 広西軍閥と軍事同盟を締結
1939年 12月 9日 20:00 : 雲南軍閥は新彊の側に立って中国国民党 と 西北三馬軍閥に宣戦を布告
あああああー当たり前ですがこれにより蘇中戦争勃発
あっちが欧州戦争ならこっちは東洋戦争でしょうか
共産連邦vs国民党・西北三馬・山西vs雲南・新疆・広西の三つ巴
日本が敵じゃなかった&冬戦争とバルバロッサの警戒で東側の装備が手薄ですが
せめてもの救いは国民党が二正面作戦な事、こっちも芬蘭vs共産vs中国で二正面ですが…
1939年 12月 11日 20:00 : シャムが新彊, 広西軍閥 と 雲南軍閥と軍事同盟を締結
1939年 12月 11日 20:00 : シャムは新彊 と 雲南軍閥の側に立って中国国民党 と 西北三馬軍閥に宣戦を布告
ここで何故かシャム(タイ)が軍閥同盟に参加、これが後々色々響くことに…
1939年 12月 18日 19:00 : 我が軍が上海[シャンハイ] で敵軍と交戦
1939年 12月 21日 2:00 : 帝国陸軍第41軍団が上海[シャンハイ]で上陸を完了
1939年 12月 21日 2:00 : 帝国陸軍第7軍団が上海[シャンハイ]で上陸を完了
1939年 12月 21日 2:00 : 満州派遣軍司令部が上海[シャンハイ]で上陸を完了
1939年 12月 21日 7:00 : 第20軍団が上海[シャンハイ]で上陸を完了
前のプレイで共産陣営日本が勝手に対国民党宣戦布告して大変な目にあっていたので
一応気をつけてウラジオストクに揚陸艇を集めておいたのが幸いした
ソ連東の戦力こそたいした事無いものの新機能「援軍派遣」で
大量の日本兵師団が届いたのでそれを上海に揚陸し、これを落とした、ありがたい
1939年 12月 24日 21:00 : ソビエト連邦が山西軍閥との和平を受諾条件は:石家庄[シーチャチョワン]をソビエト連邦へ, 北平[ベイピン] をソビエト連邦へ, 楡林[ユーリン]をソビエト連邦
へ, 保定[パオティン]をソビエト連邦へ, 大同[タートン]をソビエト連邦へ, 集寧[チーニン]をソビエト連邦へ, 呼和浩特 [フフホト]をモンゴルへ, 張家口[カルガン]をソビエト連邦へ
シャンシーが個別講和を求めてきたので受け入れ、これで多少楽になる?
1939年 12月 25日 6:00 : 内蒙古の人々がソビエト連邦からの独立を宣言
1939年 12月 25日 6:00 : ソビエト連邦が内蒙古を属国化
1939年 12月 25日 6:00 : 内蒙古はソビエト連邦, モンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン, リベリア, 日本, 満州国 と 中国共産党の側に立ってフィンランドに宣戦を布告
1939年 12月 25日 6:00 : 内蒙古はソビエト連邦, 中国共産党, モンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン, リベリア, 日本 と 満州国の側に立って中国国民党 と 西北三馬軍閥に宣戦を布告
シャンシーが割譲した場所に内蒙古自治政府を設立、これを属国化した
これでソビエト連邦新国家は4国目、目指せ全世界ソビエト化
と言うわけで二次大戦勃発から冬戦争、中国共産党、内蒙古がソ連入りするまでです
面白いことに日本がフィンランドに上陸してきました、DDAIは頭がよくなってるそうで
ちょっと隙を見せるとちゃんとPCでも上陸してくるようですね
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