Hearts of Iron 2 Doomsday プレイレポ 1936年ソビエト連邦 002

そして日本に標的を定めてクーデター工作
で、結局39年8月27日まで掛かって

19390827-19390827

ついに日本で共産革命成功、すぐさまこれと同盟を結んだ

ズルその1:日本は「軍国主義者のクーデター」が多発する国で
左翼化、民主化してもクーデターですぐにファシスト体制になってしまう
前回のプレイでは偶然(?英語版だから?)レーニン主義のまま同盟に入ったが
今回中々同盟に入るまで国体が持たずに数日、数週間でファシスト国家に戻ってしまい
前回のプレイと違い同盟が結べないことが多々あったのでやり直して同盟を結んだ
無論その後青写真を大量に交換した

で、その間の歴史イベントは…

1938年 9月 30日 0:00 : ドイツはミュンヘン条約において “ズデーテンラントを要求する!” を選択したとのことです
1938年 9月 30日 0:00 : チェコスロバキアはミュンヘン条約において “主張を認める” を選択したとのことです
1938年 9月 30日 0:00 : イギリスで “戦時体制への移行” が発生
1938年 9月 30日 0:00 : フランスで “戦時体制への移行” が発生
1938年 9月 30日 0:00 : ドイツで “ミュンヘン条約 - ドイツへのズデーテンラント割譲” が発生

ズデーテンランド要求が発生、 緑作戦の布石
大阪城の堀埋めもそうだけど、大抵この手の要求は呑んでも2の手3の手を飲まされるので
歴史を鑑みるに飲めない条件を守るために出された相手の狡猾な譲歩を認めては駄目
生物兵器を破棄したのに結局滅ぼされたイラク体制、核武装を公言するイランなど
イランイラクにおけるアメリカとの政治的戦争の帰結も結局譲歩しては負け、という事になるかな…
イラクもポーランドも結局負けたけど政治的判断としては間違いじゃないし
ここでズデーテンランドを譲歩したチェコスロバキアは結局…

1939年 3月 15日 0:00 : ドイツはチェコスロヴァキアの終焉において “スロヴァキアにティソ政権を擁立する” を選択したとのことです
1939年 3月 15日 0:00 : チェコスロバキアはチェコスロヴァキアの終焉―スロヴァキア独立において “しかたあるまい (ゲーム終了)” を選択したとのことです
1939年 3月 15日 0:00 : スロヴァキアの人々がチェコスロバキアからの独立を宣言

ゲームオーバーになりました、そして

1939年 3月 24日 0:00 : ドイツはメーメルの割譲要求において “メーメルの割譲を要求する” を選択したとのことです
1939年 3月 24日 0:00 : リトアニアはドイツのメーメル要求において “ドイツにメーメルを割譲” を選択したとのことです
1939年 3月 24日 0:00 : ドイツで “メーメルの割譲要求 ― リトアニアが合意した!” が発生

次々に要求を繰り返すドイツ、リトアニアからメーメルを割譲させる
国連受託地だったりフランスだったりドイツだったりリトアニアだったりと元々悶着あったメーメル
これによりリトアニアはバルト海に面していたメーメルを失い、内陸国家化します

1939年 3月 26日 0:00 : イタリアはアルバニア併合において “ゾグ国王に最後通牒を突きつける” を選択したとのことです
1939年 3月 26日 0:00 : アルバニアはイタリアの最後通牒において “断固拒否!” を選択したとのことです
1939年 3月 26日 0:00 : イタリアはアルバニア併合 ― ゾグ国王の拒否において “宣戦布告” を選択したとのことです
1939年 3月 26日 0:00 : イタリアがアルバニアに対して宣戦を布告

イタリアとアルバニアの戦争が始まる、これが二次大戦の最初の切欠の戦争とも言えるかな
元々メーメルもそうですがアルバニアも国連保護地域でどの国に帰属するかで
色々と揉めている地域で、そこにイタリアが入った形になりますね

1939年 3月 30日 0:00 : イギリスはポーランドに対する独立保障において “ポーランドは守られねばならない” を選択したとのことです
1939年 3月 30日 0:00 : ポーランドはイギリスの同盟提案において “承諾しよう” を選択したとのことです
1939年 3月 30日 0:00 : イギリスで “ポーランドの独立を保障 ― ポーランドの受諾” が発生
1939年 3月 30日 0:00 : ポーランドがイギリス, イラク, フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ, 南アフリカ, ネパール, ブータン, イエメン と オマーンと軍事同盟を締結

そして危険を感じた連合国はポーランドへ独立保障をして連合入りをするように勧誘
まれにAIが断ったりして二次大戦が始まらなかったりするので気が抜けない

1939年 7月 25日 0:00 : 日本はノモンハン事変において “この戦いは我々の敗北だ” を選択したとのことです
1939年 7月 25日 0:00 : 日本が我が国と不可侵条約を締結
1939年 7月 25日 0:00 : 我が国に “ハルハ川の戦い” が発生した

ノモンハン事変(ハルハ川の戦い)発生、この辺も国境紛争地帯ですね
時が時なら国境紛争は即時戦争に繋がります、注意せねば

390824-390928

1939年 8月 24日 0:00 : 我々はモロトフ・リッベントロップ協定 ― 史実どおりの条約において “この上なく素晴らしい提案だ” と選択した
1939年 8月 24日 0:00 : ドイツで “モロトフ・リッベントロップ協定 ― 史実どおりに締結” が発生

1939年8月23日、ヒトラーとスターリンは“モロトフ・リッベントロップ協定” と呼ばれる不可侵条約を締結した。この協定には秘密議定書がついており、ドイツとソ連がポーランドを征服した後の、 両国の東欧における勢力圏が決められていた。 ヒトラーはこの年の4月からすでにポーランド侵攻に向けた軍事計画とそれを正当化する口実を準備していたのだ。この議定書によれば、 ソ連はラトヴィア、エストニア、フィンランドを勢力下におさめ、ドイツはリトアニアとダンツィヒの勢力圏とする。 ポーランドは大きく3つの地域に分割される。ドイツと国境を接するヴァルテラント地方はドイツ帝国に直接併合され、 非ドイツ系住民は東へと追放される。 77,000平方マイルを超える面積の東部ポーランドは1300万人の住民とともにソ連の領土となる。残る中央部は、 ドイツ政府当局が統治する“総督領”としてドイツの保護領となるのである。

>史実どおりに合意する
 ポーランドの分割にのみ合意する
 ボルシェヴィキと取引などできるか!

ポーランド東、及びバルト三国の領有権についてソ連とドイツの間で密約が交わされました
昔は「ポーランドがダンチヒ回廊に固執する余り第二次世界大戦を引き起こした」
という見解もありましたが、今ではこの密約も公になり
結局ダンチヒはドイツがポーランドに攻め込む口実でしかなかったと分かっています

1939年 8月 27日 20:00 : 我が国は日本での政権交代に成功以前より協力的な政府を擁立
1939年 8月 27日 20:00 : 日本が我が国との不可侵条約を破棄
1939年 8月 27日 20:00 : 日本が我が国とモンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン と リベリアとの軍事同盟に参加
1939年 8月 27日 20:00 : 満州国が我が国とモンゴル, アメリカ合衆国, フィリピン, リベリア と 日本との軍事同盟に参加

そして対日クーデター工作が実を結び、無事共産革命を成功
同時に日本はコミンテルン入りしました

以上が日本が共産圏に入るまでの歴史ですね、この後

1939年 8月 28日 20:00 : 日本で “軍国主義者のクーデター” が発生

即日ファシスト国家化する日本、本当に不安定な国家です
そして

1939年 8月 30日 0:00 : ドイツはダンツィヒか戦争か(平和への最後の望み)において “もう後がない最後通牒 ― ダンツィヒか戦争か” を選択したとのことです
1939年 8月 30日 0:00 : ポーランドはダンツィヒか戦争かにおいて “では戦争だ” を選択したとのことです
1939年 8月 30日 0:00 : ドイツで “ダンツィヒか戦争か ― 戦争だ!” が発生
1939年 8月 30日 0:00 : ドイツがポーランドに対して宣戦を布告
1939年 8月 30日 0:00 : スロヴァキアはドイツの側に立ってポーランドに宣戦を布告
1939年 8月 30日 0:00 : イギリスはポーランドの側に立ってドイツ と スロヴァキアに宣戦を布告
1939年 8月 30日 0:00 : フランスはイギリス, ポーランド と イラクの側に立ってドイツ と スロヴァキアに宣戦を布告

ダンツィヒ回廊を巡りとうとう世界大戦が勃発しました

この辺はドイツとソ連のモロトフ・リッペントロップ協定も明らかでない当時は
突如「独ソ不可侵条約」を結んだドイツに対し「日独伊防共協定」に違反するとして日本が抗議
日独関係が微妙になり「欧州天地は複雑怪奇」と言って内閣総辞職に至るなど
今でこそ色々分かっているものの難しい国勢にあり、その渦中に日本も居た形です

丁度終戦記念日だったりしたので不謹慎ですが二次大戦という最大のイベントの
主役級国家だった日本でこのようなゲームができることに感謝を