Hearts of Iron 2 Doomsday プレイレポ 1936年ソビエト連邦 001

とりあえず目指す中型戦車開発への基礎技術として「チャルコフ工場設計局」に改良型軽戦車「BT-7」を

数少ない産業工学スキルもち「ニジニ・タギル工場」に今後の生産速度改善の布石に「基本型工作機械」を

「イリューシン設計局」に目下省ICで生産ができ且つ高攻撃力の近接支援戦闘機の基本型、「スホーイ Su-2 イワノフ」 を

あとは今後工業力が高くなればメインになると思われる「イリューシンBT-3」の後継、基本型戦術爆撃機「ヤコヴレフ Yak-4」

そしてバリカダ工場設計局に36年の時点で'40が出ている自動車化師団の後継
「改良型自動車化師団 '42」を1ラインを埋めて気長に早々に作るつもりで取り掛かった
(早く着手するとそれだけ開発にペナルティーがかかる)

そして生産は地味に効くうえにかなりコストの重い「司令部 '36」を筆頭に
並列で自動車化歩兵 40 'x6を21+強襲上陸用輸送艦x1を48で並列x連続生産をかけた
(並列だと同時に生産可能、連続だと順に量産効果で少しずつ生産が早くなる)

そしてこのあとは近接支援機、戦術爆撃機、軽戦車>中戦車、自動化歩兵をメインに
ソ連といえばカチューシャ自走ロケット砲なのでそれの基礎技術として
「基本型野砲>改良型野砲>基本型ロケット砲>改良型ロケット砲」と育てつつ
「中戦車」+「改良型ロケット砲」で自走ロケット砲「カチューシャ」になる予定、遠いなぁ

生産工業系も少しずつ進めて最終的に「車両組み立てライン」「小火器製造ライン」を目指す

他は次が時期的に遠い時、史実を超えたものから順に計算機、暗号機、解析機や
陸海空ドクトリンのうちメインを陸で、補助を空、海は一切を捨てて進めていく

で、その間開発をぼんやり眺めながら何をするかというと
潜入資金が溜まるたび「スパイを潜入させる>アメリカ、日本」を繰り返した、延々繰り返した
10グループ潜入させたら「クーデター煽動」して大量のお金をつぎ込んで失敗し
また溜まるまで我慢し、また画策、成功確率は1回で5%、$800(生産4~50日分程)かかった

で… 36年からなんと38年7月1日までかけてまずは

アメリカから共産革命成功の知らせ!スターリン主義のコミュニストアメリカ誕生
その後同盟に何度か誘って(61%なのに)断られるも「送金で機嫌を取る>断られる>送金」を繰り返し
同年8月20日にアメリカ、及びその属国フィリピン、リベリアがコミンテルンに参加

そしてまずやる事は…

設計図青写真の交換です、これで一気に互いに進んだ部分を補い合う
5個ずつですが繰り返して全部引き取ります、こっちも押し付けます
後から遅れてる部分を埋めあいます、先進国同士ももちろん自分の属国にも配ります
まさに複合的発展の法則 とでもいいましょうか、今回のトロツキー路線を標榜するにふさわしい?
あ、そういえばトロツキー暗殺って40年じゃないですか、まだ生きてるんだ…イベント欲しいなぁ
スターリン一国社会主義というよりはトロツキー永続革命主義っぽいソ連を目指したい

と、アメリカ共産革命の出費から離れることができた (うえにアメリカが好意的レートでお金を流してくれる)ので
中国共産党に対して(既にスターリン主義なので) 友好度を上げる画策を
さらに日本に続けてあとは独ソ開戦の際に背後に陣取るスペインに対してもスパイ侵入>革命煽動を続けた

その間も歴史は動いていて

1936年 7月 21日 0:00 : スペインで “ホセ・サンフルホが死んだ!” が発生
1936年 7月 22日 0:00 : フランスはスペイン内戦 ― 介入において “なぜ無政府主義者どもを支援する必要があるのだ” を選択したとのことです
1936年 7月 22日 0:00 : イギリスはスペイン内戦 ― 介入において “なぜ無政府主義者どもを支援する必要があるのだ” を選択したとのことです
1936年 7月 22日 16:00 : 我々はスペイン内戦 ― 介入において “装備と義勇兵を送る” と選択した
1936年 7月 22日 16:00 : スペイン共和国で “スペイン内戦 ― ソヴィエトの介入” が発生
1936年 7月 22日 16:00 : アメリカ合衆国で “スペイン内戦 ― ソヴィエトの介入” が発生

ソビエトはスペイン共和派を物資で支援するも遠すぎて直接武力介入はできず

1937年 1月 16日 4:00 : スペインがスペイン共和国を併合
1937年 1月 17日 0:00 : トルコは我々が提案した外交協定を拒絶
1937年 1月 17日 4:00 : スペインで “スペイン内戦 ― 勝利!” が発生
1937年 1月 17日 4:00 : イタリアで “義勇軍団が帰国!” が発生
1937年 1月 19日 0:00 : パラグアイで “民主化クーデター” が発生
1937年 1月 20日 4:00 : アメリカ合衆国のスパイがソビエト連邦への潜入に失敗
1937年 1月 22日 4:00 : ドイツで “コンドル軍団が凱旋帰国!” が発生
1937年 1月 29日 0:00 : ニカラグアで “軍国主義者のクーデター” が発生

と結局歴史どおりスペイン国粋派が勝利を治めた

1938年 3月 2日 0:00 : 我々は将校の大粛清が始まるにおいて “残忍な粛清は必要ない” と選択した

これにより国民不満度+30!単純計算でIC工業力30%減、しかし188人の将校の命には代えられない
ここで粛清したら唯一使える元帥のトハチェフスキーが死ぬ上ただでさえ人材不足のソ連で将校不足で大変なことに
後は地道に消費財にICを振り(余計ICを奪われる)国民不満度が下がるのを待つ、一日-0.03程度、1000日?!

1938年 7月 3日 0:00 : チャルコフ工場設計局が「基本型中戦車」を開発

これを機に中戦車を生産、後にグレードアップすればT-34まで育つ筈

1938年 7月 24日 0:00 : 日本で “張鼓峰事件(ハサン湖事件)” が発生
1938年 7月 24日 0:00 : 我が国に “ハサン湖事件(張鼓峰事件)” が発生した
1938年 7月 24日 0:00 : ブリュッヒャーが死亡

日本との間で張鼓峰事件が発生、昔は日本が一方的に負けたと教えられていたが
近年ソ連崩壊後ではソ連側が日本を上回る大規模な被害を受けていたことが明らかになった
無論責任者はNKVDが始末したが英雄として国葬した

1938年 7月 1日 1:00 : アメリカ合衆国の政権が転覆、以前より我々に協力的な政府を擁立しました

1938年 8月 20日 9:00 : アメリカ合衆国が我が国とモンゴル と タンヌトゥーバとの軍事同盟に参加
1938年 8月 20日 9:00 : フィリピンが我が国とモンゴル, タンヌトゥーバ と アメリカ合衆国との軍事同盟に参加
1938年 8月 20日 9:00 : リベリアが我が国とモンゴル, タンヌトゥーバ, アメリカ合衆国 と フィリピンとの軍事同盟に参加

そしてここでコミュニストアメリカ誕生、スターリン主義政権
できればレーニン主義くらいにしておきたかったけど国政はこちらを引き継ぎで
こっちもこっちでレーニン主義になるより介入主義国家にする方が先決なので・・・
(国民の物資消費量が下がり不満度の下がりが大きくなる、ソ連は不満度がすごいので優先)

一応ここまでがスタートからアメリカが共産圏入りをするまでの歴史でした