ハーツオブアイアン2 プレイレポ 1936年日本 その4

style="MARGIN-RIGHT: 0px">

1936jap_19380326

1: 38年3月26日
シアトルに立てこもるマッカーサー、フィリピンに居ないと思ったらこんな所に
この後回りの撤退した米軍が合流してさらに強くなり随分梃子摺った
ここで包囲殲滅しても将官は戦死するまで別の師団へ移っていくので
マッカーサーをここにとどめた方が良かったかも知れない

2:38年8月4日
張鼓峰事件発生

3:38年8月24日
この時点での陸戦力 日本:約70(歩兵+騎兵) アメリカ:25(歩兵+戦車)
ところが…

4:38年12月23日
日本:約80(歩兵+騎兵) アメリカ:58(歩兵+戦車+海兵)
ギャー 凄い勢いで増えてる!このペースだとあっという間に追いつかれます!
と言うのもアメリカの工業力の殆どは東海岸ギリギリに密集しており
さらに戦争が始まると非戦時補正が消えて総動員、追い詰めてもどんどん沸いて来る

5:40年10月2日
東海岸付近にまで追い詰めた辺りでやっとアメリカは工業力を失い始め
度重なる停戦交渉を無視、やっと東海岸の端まで押しやった所でイベント「降伏」が発生

4と5が凄い開いているけど…ただ力押しで押しやるだけのつまらない戦争があっただけです
日本から増援を西海岸に送ってはゴリゴリ押していく、中盤非常に苦戦するも
だんだん工業地帯を失っていくたびにどんどんアメリカの増援は先細って行きました

世界情勢
日本とアメリカがゴリゴリ泥臭い戦争している間に世界は一気に動きました

style="MARGIN-RIGHT: 0px">

1939年 8月 30日 0:00 : ドイツはダンツィヒか戦争か(平和への最後の望み)において
“もう後がない最後通牒 ― ダンツィヒか戦争か” を選択したとのことです。
1939年 8月 30日 0:00 : ポーランドはダンツィヒか戦争かにおいて “では戦争だ” を選択したとのことです。

1939年 8月 30日 0:00 : ドイツで “ダンツィヒか戦争か ― 戦争だ!” が発生。
1939年 8月 30日 0:00 : ドイツがポーランドに対して宣戦を布告。
1939年 8月 30日 0:00 : スロヴァキアはドイツの側に立ってポーランドに宣戦を布告。
1939年 8月 30日 0:00 : イギリスはポーランドの側に立ってドイツ と スロヴァキアに宣戦を布告。
1939年 8月 30日 0:00 : フランスはイギリス, ポーランド と イラクの側に立ってドイツ と
スロヴァキアに宣戦を布告。

39年8月末、ダンツィヒ回廊を巡る交渉の末、 ドイツはポーランドへ侵攻
それに応える連合の対独宣戦布告、これによりいわゆる第二次世界大戦が始まりました。

style="MARGIN-RIGHT: 0px">

1939年 10月 2日 0:00 : ドイツはモロトフ・リッベントロップ協定 ―
ソ連へ東部ポーランドを割譲において “協定を遵守する” を選択したとのことです。
1939年 10月 2日 0:00 : ソ連で “モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲” が発生。

1939年 10月 2日 0:00 : スロヴァキアで “モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲”
が発生。
1939年 10月 2日 0:00 : ハンガリーで “モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲”
が発生。
1939年 10月 2日 0:00 : ルーマニアで “モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲”
が発生。

きっちりヒストリカルにモロトフリッペントロップ協定を結んでいた独ソ両国
併合されたポーランドはドイツとソ連により二分されました。

style="MARGIN-RIGHT: 0px">

1939年 7月 30日 11:00 : 我が国がトンガ海溝北部における海戦でアメリカ合衆国に勝利。
撃沈された船は次のとおり。
日本 – 第9輸送戦隊(輸送), IJN 青葉(重巡), IJN 加古(重巡), IJN 比叡(巡戦), IJN
金剛(巡戦), IJN 榛名(巡戦), 第1航空戦隊(空母), IJN 浅間(重巡), IJN 衣笠(重巡),
第19輸送戦隊(輸送), IJN 那珂(軽巡), 第3駆逐隊(駆逐), 第1駆逐隊(駆逐), IJN 川内(軽巡), IJN
五十鈴(軽巡), 第5駆逐隊(駆逐).
アメリカ合衆国 – USS インディアナアポリス(重巡), USS テネシー(戦艦), USS ソルトレイクシティー(重巡),
USS アイダホ(戦艦), USS アリゾナ(戦艦), USS アーカンソー(戦艦), USS カリフォルニア(戦艦),
USS テキサス(戦艦), USS シカゴ(重巡).

1939年 10月 10日 21:00 : 我が軍はハワイ海嶺西部における海戦でアメリカ合衆国に敗北。
撃沈された船は次のとおり。
日本 – IJN 出雲(重巡), IJN 日向(戦艦), IJN 龍驤(空母), IJN 古鷹(重巡), IJN
伊勢(戦艦), IJN 天龍(軽巡), IJN 木曾(軽巡), IJN 北上(軽巡), IJN 長良(軽巡), IJN
大井(軽巡), 第8駆逐隊(駆逐), 第7駆逐隊(駆逐), 第9駆逐隊(駆逐), 第8潜水隊(潜水),
第9潜水隊(潜水).
アメリカ合衆国 – USS タスカルーサ(重巡), USS ミネアポリス(重巡), USS ウェストヴァージニア(戦艦),
USS ニューメキシコ(戦艦), USS コロラド(戦艦), USS ヨークタウン(空母).

一方帝国海軍とアメリカ海軍の大海戦もこの頃2度に渡って発生
一度目は戦艦6隻を沈める大勝利、二度目には空母龍驤、戦艦伊勢・日向を失いながらも
空母ヨークタウンを含めた戦艦3隻を沈め、この頃すでにアメリカは工業力を失いつつあり
失った艦隊を再建できずこれ以後アメリカ海軍は大きな反攻に出る事無く終戦を迎えます

style="MARGIN-RIGHT: 0px">

1939年 11月 17日 0:00 : ソ連はフィンランドの冬戦争において
“要求の受け入れを強く迫る” を選択したとのことです。
1939年 11月 17日 0:00 : フィンランドは冬戦争において “かかってこい! 相手になってやる!”
を選択したとのことです。
1939年 11月 17日 0:00 : ソ連で “フィンランドの冬戦争 ― 要求を拒否” が発生。
1939年 11月 17日 0:00 : ソ連がフィンランドに対して宣戦を布告。
1939年 11月 17日 0:00 : モンゴルはソ連の側に立ってフィンランドに宣戦を布告。
1939年 11月 17日 0:00 : タンヌ・トゥヴァはソ連 と モンゴルの側に立ってフィンランドに宣戦を布告。

1939年 11月 19日 0:00 : スウェーデンはフィンランドの冬戦争 ― スウェーデンの不介入において
“義勇兵と武器を供与する” を選択したとのことです。
1939年 11月 19日 0:00 : フィンランドで “スウェーデンの物資援助” が発生。
1940年 2月 6日 0:00 : ソ連はフィンランド冬戦争の終結において “すでに要求している条件で講和する”
を選択したとのことです。
1940年 2月 6日 0:00 : フィンランドはフィンランド冬戦争の終結において “ソ連の要求に屈する”
を選択したとのことです。
1940年 2月 6日 0:00 : ソ連で “フィンランド冬戦争の終結 ― フィンランドの受諾” が発生。
1940年 2月 6日 0:00 : ソ連がフィンランドとの和平を受諾。条件は:元の状態への復帰

蘇芬冬戦争勃発、
史実ではスキー兵や鹵獲戦車師団などユニークなフィンランド軍が大活躍
3ヶ月ほどの短い戦争で終結、前回ドイツプレイでは和平せずにフィンランドが併合されてました

style="MARGIN-RIGHT: 0px">

1940年 3月 9日 0:00 : ドイツはヴェーゼル演習作戦において
“ノルウェーとデンマークに侵攻” を選択したとのことです。
1940年 3月 9日 0:00 : ノルウェーがイギリス, イラク, フランス, オーストラリア, ニュージーランド,
カナダ, 南アフリカ, ネパール, ブータン, イエメン と オマーンと軍事同盟を締結。
1940年 3月 9日 0:00 : ドイツ, スロヴァキア と ハンガリーがノルウェーに対して宣戦を布告。
1940年 3月 9日 0:00 : デンマークがイギリス, イラク, フランス, オーストラリア, ニュージーランド,
カナダ, 南アフリカ, ネパール, ブータン, イエメン, オマーン と ノルウェーと軍事同盟を締結。
1940年 3月 9日 0:00 : ドイツ, スロヴァキア と ハンガリーがデンマークに対して宣戦を布告。
1940年 5月 29日 0:00 : イタリアがドイツ, スロヴァキア と ハンガリーと軍事同盟を締結。
1940年 5月 29日 0:00 : イタリアはドイツ, スロヴァキア と ハンガリーの側に立ってイギリス, イラク,
フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ, 南アフリカ, ネパール, ブータン, イエメン, オマーン,
ノルウェー, ベルギー と オランダに宣戦を布告。

そしてドイツのスカンジナビア半島への侵攻、デンマークが足がかりに使われます
ノルウェー・デンマークが連合に参加する一方でとうとうイタリアも枢軸に参加

style="MARGIN-RIGHT: 0px">

1940年 6月 14日 6:00 : ドイツはヴィシーフランスにおいて
“フランスのヴィシーに傀儡政権を擁立する” を選択したとのことです。
1940年 6月 14日 6:00 : フランスはヴィシー政権において “受け入れるより仕方がない” を選択したとのことです。

1940年 6月 14日 6:00 : ヴィシーフランスの人々がフランスからの独立を宣言。
1940年 6月 14日 6:00 : ヴィシーフランスで “ヴィシーフランスの独立” が発生。
1940年 6月 14日 6:00 : シリアの人々がヴィシーフランスからの独立を宣言。
1940年 6月 14日 6:00 : レバノンの人々がヴィシーフランスからの独立を宣言。
1940年 6月 14日 6:00 : マダガスカルの人々がヴィシーフランスからの独立を宣言。
1940年 6月 14日 6:00 : フランスは自由フランスの主導権において “ドゴールに続け!” を選択したとのことです。

1940年 6月 14日 6:00 : シリアで “放任主義への転換” が発生。
1940年 6月 14日 6:00 : ヴィシーフランスがシリアと軍事同盟を締結。
1940年 6月 14日 6:00 : レバノンで “放任主義への転換” が発生。
1940年 6月 14日 6:00 : レバノンがシリア と ヴィシーフランスと軍事同盟を締結。
1940年 6月 14日 6:00 : マダガスカルで “放任主義への転換” が発生。
1940年 6月 14日 6:00 : マダガスカルがシリア, ヴィシーフランス と レバノンと軍事同盟を締結。
1940年 6月 14日 6:00 : イタリアで “ヴィシーフランス ― 占領地域の一部返還” が発生。
1940年 6月 14日 6:00 : ドイツで “マジノ線を破壊” が発生。
1940年 6月 14日 6:00 : ベルギーで “ベルギー陥落” が発生。
1940年 6月 14日 6:00 : 我々は日本とヴィシーフランスの東南アジア植民地において “仏領インドシナを要求する”
と選択した。
1940年 6月 14日 6:00 : ヴィシーフランスは日本が仏領インドシナを要求において “承諾しよう”
を選択したとのことです。
1940年 6月 14日 6:00 : アメリカ合衆国で “日本がヴィシーに仏領インドシナを要求” が発生。
1940年 6月 14日 6:00 : 我が国に “ヴィシーが我々の要求を受諾した” が発生した。

とうとうフランス降伏、ドイツによるヴィジー政権擁立
それに併せてフランス領の一部国家が独立を宣言したり、自由フランス側に付いたりしています。
日本もちゃっかり仏領インドシナを貰っていますよ

style="MARGIN-RIGHT: 0px">

1936jap_19400919

1:アメリカの降伏を受け入れた場合
ファシスト国家アメリカが誕生、でも日本と同盟関係なわけでも無いし
折角奪った工業力を返さなくちゃならない、得じゃないですね
今考えればテキサスを属国化、アメリカは降伏させてその後日米同盟という手も…

2:アメリカ併合の後独立させた場合
王政国家アメリカが誕生、日本の属国なので天然資源を上納してくれるが
工業力はやっぱり返さなくちゃならない…

3:分割独立してみた場合
西側のカリフォルニア、南部中央のテキサス、南部東側の南部連合
東北部アメリカ本国、に分かれる、が、分けて統治しても余り得はしない
直接統治だと外地40%しか得られないので資源が豊富なテキサスだけ独立なら
100%の余った分を上納してくれるので40%より得、と言う程度

4:天然資源の泉、アメリカ南部油田地帯
戦争で荒れた後なのに72もの石油を排出するラボック…周りにも油田が一杯
左隣はUFOが落ちた事で有名なロズウェル、ここも油田

5:結局アメリカは全部日本が統治
工業力を返すのがもったいなくて全部日本が統治、アメリカは併合しました
で、その工業力で何をするかというと、本土の工業を発展させる事に…
アメリカの工業生産力を利用して本土じゅうに工場を建ててまわります
いずれアメリカ無しでも十分なくらいまで育てたらアメリカを独立させようと画策していましたが…

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください