ハーツオブアイアン2 プレイレポ 1936年日本 その6

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0:41年11月6日
日本は正式に枢軸と軍事同盟を結び
それと同時にイギリス本土で唯一湾岸要塞の建築されていない
手薄なブラックプールへの上陸作戦を開始した

1:41年11月10日
上陸作戦4日目、たった1師団の守備隊が居るだけのブラックプールに対して
18個師団(含む海兵隊9師団+司令部)をぶつけもはや陥落寸前
アイコンを見るに沿岸から上陸援護の艦砲射撃も行っていた模様

2:41年11月12日
ブラックプール陥落、引き続きアイスランドに集めた東方英本土強襲部隊が
ブラックプール港湾への移動を試みている中
先行上陸した18師団が全軍一路ロンドン陥落を目指す
沿岸要塞で固められたイギリスも陸上要塞は皆無、後は一気に押し切るだけ

3:41年11月16日
一方その頃東南アジアでも戦争が始まる
フィリピンからサラワクへも上陸部隊が進む、こっちは守備兵すら居ない
蘭領インドネシア諸島開放へ向けてフィリピンを拠点に島々へ上陸部隊を派兵
シャム国境まで広がった西方インド解放部隊も英領ビルマへ進軍開始

4:41年12月8日
ロンドン陥落、20師団余りがさらに英本土全制圧へ向けて戦線を広げる
しかし対岸に見えるドイツ軍の量が異常、PhonyWar状態
アシカ作戦はどうしたんですか総統

5:41年12月19日
英領東インド(ブータン)に侵攻、一気にインパールまで駆け上がる作戦
機械化師団が多い為山岳地帯では足が遅い、インド内に入れば早いのだが…
一方蘇満国境が決壊寸前で慌てて周囲の満軍を集める

歴史のほうに注目

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1941年 11月 17日 10:00 : 我が国がソマリ海盆東部における海戦でイギリスに勝利。
撃沈された船は次のとおり。
イギリス – HMS ロイヤル・ソヴリン(戦艦), HMS アークロイヤル(空母).
日本 – IJN 扶桑(戦艦).

11月17日に中規模の海戦発生、扶桑を失うも空母1戦艦1を沈めた

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1941年 12月 6日 0:00 : 1 工業力が東京で完成。
1941年 12月 6日 0:00 : 1 工業力が大阪で完成。
1941年 12月 6日 0:00 : 1 工業力が旭川で完成。
1941年 12月 6日 0:00 : 1 工業力が札幌で完成。
1941年 12月 6日 0:00 : 1 工業力が福島で完成。
1941年 12月 6日 0:00 : 1 工業力が広島で完成。
1941年 12月 6日 0:00 : 1 工業力が四国で完成。
1941年 12月 6日 0:00 : 1 工業力が福岡で完成。
1941年 12月 6日 0:00 : 1 工業力が鹿児島で完成。

12月、アメリカ工業力効果がやっと実を結ぶ、これ以後も一部で地道に建設しつづける

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ここで陸海空軍の比較
海軍、大英の量が多少上回るも質にて大幅に日本が上回る為事実上トップ

陸軍、 イギリスと奇妙戦争状態の独軍がソビエトさえ上回りトップに
日本は先行して機械化師団を作り平野丘陵都にてその強さを発揮するものの
絶対量が少なく、本気で独ソとは渡り合うのは難しい

空軍、海軍爆撃機は使ったことがないです…噂では海軍をゴリゴリ削れるらしい
近接支援機も数こそ多いものの初期型の三菱 九九式襲撃機がメインで未開発
むしろ地道に生産を続けた発展型戦術爆撃機 中島 百式重爆撃機「呑龍」による
陸上部隊への支援がメイン、アジア大陸は飛行場が少なく空港を制圧する先々で
前線まで近距離支援機が届かない事も多く、戦術爆撃機メインに特化した

DDでは制空権が重要視され制空権のない場所に爆撃機を飛ばすような事は
自殺行為らしいがHoI2は迎撃機に追い返される傍から次から次に爆撃機を飛ばし
下手に護衛機を作る時間よりその時間で爆撃機を生産し相手を飽和させた方が
有利な場面が多く護衛機や戦闘機を生産するメリットが余りない…気がする
アメリカの爆撃機による飽和攻撃も防げないし

おまけのキルマーク、USSヨークタウンにあらかた沈められた初期艦隊
伊勢日向比叡榛名金剛青葉出雲古鷹加古衣笠…沈み過ぎ

ハーツオブアイアン2 プレイレポ 1936年日本 その5 改定

さてまたここで世界情勢

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37年まではとにかく砲兵旅団付き歩兵師団の生産に明け暮れた
盧溝橋事件も無視、そして年末に真珠湾強襲
東京<>マーシャル<>真珠湾<>西海岸というアイランドホップで
陸軍をどんどん西海岸に送り込んだ

39年末の2度の大海戦でヨークタウン一隻相手に巡洋艦駆逐艦23戦艦1空母2が沈められ
旧型艦隊はほぼ全滅したものの二度目の海戦にて潜水艦一隻がこれを沈めた、超武勲物

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40年初頭には日米の力の天秤が逆さになり始める
アメリカが工業地帯を失い国力を奪われはじめ徐々に反撃の勢いが無くなっていき
そして太平洋の米領諸島はアリューシャン方面を除いてすべて掌握
これで太平洋は輸送船で行き来しても安全になった
しかし大西洋側へはパナマをアメリカが押さえている為
南米マゼラン迂回ルートだと補給が切れた状態になるので危なくて軍を送れず
結果合計で二年ほど米大陸を陸軍でゴリゴリ押すだけの頭の悪い戦争が続いた
考えたらパナマを落として東海岸側に強襲をかければ米併合まで半年は縮んだ筈

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1940年 6月 15日 0:00 : 呉海軍工廠が「発展型空母」を開発。
1940年 8月 28日 4:00 : IJN 大和が帝国海軍第8艦隊に配置される。
1940年 8月 28日 4:00 : IJN 筑摩が帝国海軍第8艦隊に配置される。

後に大活躍する大和、しかし大和なのに第七世代大和型ではなく実は第四世代土佐型
戦艦ではなく空母に力を入れて開発を進めているせい、7なんて無理!
空母は第四世代翔鶴型が生産中、第五世代(発展型)大鳳型開発終了、着工
空母や戦艦生産するのに一年以上掛かるのよね…目安400日と言う所

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1940年 12月 3日 0:00 : ヴィシーフランスで “赤道アフリカが自由フランスに寝返る” が発生。
1940年 12月 3日 0:00 : フランスで “赤道アフリカが自由フランスに寝返る” が発生。

アフリカ中央部のフランス領がヴィジーから自由フランス側へ
実のところ半中立のヴィジーより連合についてくれたほうが攻めやすい

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1941年初頭、とうとう初めて世界地図が一周繋がった、ちょっと感慨深い
ちなみにアメリカを這う青いラインはカナダ・メキシコ国境沿いに移動中の日本軍

アメリカはパナマに立てこもったわずかな軍を残すのみ
ありがたい事に連合枢軸戦が始まりデンマークがドイツに降伏し
デンマーク領だったグリーンランド・アイスランドがアメリカに委譲され
連合国と交戦状態にならずにアイスランドまで制圧できた、これは非常に大きい
また仏領インドシナに進駐したため西側への侵攻ルートが確保できた

2月初めにはユーゴスラビアが連合に加盟、それに呼応してブルガリアが枢軸に加盟した
このバルカン半島の参戦により

枢軸
 ドイツ(+スロヴァキア)、ハンガリー、イタリア、ブルガリア
連合
 イギリス(+属国)、フランス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド
 南アフリカ、ベルギー、オランダ、ギリシア、ユーゴスラビア

となった
その後パナマも陥落し、アメリカは併合、1941年2月10日、日米戦争は終結

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1941年 2月 10日 18:00 : アメリカ合衆国が我が国の領土になった!

つかの間の平時体制に移行した
で、この後どうするか考えた

1、日波斯同盟のまま中国へ転戦、国民党相手に戦う
2、ペルシアと同盟を破棄、枢軸入りしてカナダ・英国相手に戦う

同盟同士の同盟は出来ない&戦争時は同盟を解消出来ない ので
日波斯同盟を破棄しておかないと枢軸には入れない
中国へ進出するだけなら連合を相手にしなくて良い分枢軸入りを避けた方が良さそう…

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1941年 5月 12日 0:00 : イラクはハバニヤ事件において “新政権を受け入れる” を選択したとのことです。

1941年 5月 12日 0:00 : イラクがイギリス, フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ,
南アフリカ, ネパール, ブータン, イエメン, オマーン, ベルギー, オランダ と ギリシアとの軍事同盟から脱退。

1941年 5月 12日 0:00 : イラクはイギリスに与えていた軍の通行許可を破棄。
1941年 5月 12日 0:00 : ドイツがイラクとの和平を受諾。条件は:元の状態への復帰
1941年 5月 12日 0:00 : ドイツはドイツがイラクのクーデターを支援?において “クーデターを支援する”
を選択したとのことです。
1941年 5月 12日 0:00 : ヴィシーフランスはレヴァントの状況において “連合軍を敵にまわすな”
を選択したとのことです。
1941年 5月 12日 0:00 : ヴィシーフランスがシリア, レバノン と マダガスカルとの軍事同盟から脱退。

1941年 5月 12日 0:00 : シリアで “ドイツからの支援” が発生。
1941年 5月 12日 0:00 : マダガスカルはヴィシーに従うのか、どうするか?において “ヴィシーの方針に従う”
を選択したとのことです。
1941年 5月 12日 0:00 : マダガスカルがシリア と レバノンとの軍事同盟から脱退。
1941年 5月 12日 0:00 : ヴィシーフランスがマダガスカルと軍事同盟を締結。
1941年 5月 12日 0:00 : スイスで “選挙” が発生。
1941年 5月 12日 0:00 : イギリスで “ハバニヤ・クーデター” が発生。
1941年 5月 12日 0:00 : イラクがドイツ, スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア
とブルガリアと軍事同盟を締結。
1941年 5月 12日 0:00 : イギリス, フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ, 南アフリカ,
ネパール, ブータン, イエメン, オマーン, ベルギー, オランダ と ギリシアがイラクに対して宣戦を布告。
1941年 5月 12日 0:00 : イギリスがシリアに対して宣戦を布告。

スイスはお構いなしにいつもの選挙、スイスは選挙ばかりしているなあ
イラクではハバニヤクーデターが発生、史実にはない事件?
これによりイラクが連合から一転枢軸入り、するのだが…

フランスがさらにマダガスカル・ヴィジーの中立同盟と
シリア・レバノンの旧仏対連合同盟に分かれるが…

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1941年 6月 7日 0:00 : シリアで
“シリアが自由フランス領に戻る” が発生。
1941年 6月 7日 0:00 : シリアがレバノンとの軍事同盟から脱退。
1941年 6月 7日 0:00 : イギリスがシリアとの和平を受諾。条件は:元の状態への復帰
1941年 6月 7日 0:00 : フランスで “シリアが自由フランス領に戻る” が発生。
1941年 6月 7日 0:00 : フランスがシリアを併合。

1941年 6月 18日 0:00 : フランスで
“レバノンが自由フランスを支持” が発生。
1941年 6月 18日 0:00 : フランスがレバノンを属国化。
1941年 6月 18日 0:00 : レバノンはイギリス, フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ,
南アフリカ, ネパール, ブータン, イエメン, オマーン, ベルギー, オランダ と ギリシアの側に立ってドイツ,
スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア, ブルガリア と イラクに宣戦を布告。

ひと月持たずにシリア消滅、レバノンも自由フランスの属国に戻った

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1941年 7月 14日 0:00 :
ドイツがソ連に対して宣戦を布告。
1941年 7月 15日 0:00 : フィンランドがドイツ, スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア,
ブルガリア とイラクと軍事同盟を締結。
1941年 7月 15日 0:00 : フィンランドはドイツ, スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア,
ブルガリア とイラクの側に立ってイギリス, フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ, 南アフリカ,
ネパール, ブータン, イエメン, オマーン, ベルギー, オランダ, ギリシア と レバノンに宣戦を布告。
1941年 7月 15日 0:00 : フィンランドはドイツ, スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア,
ブルガリア とイラクの側に立ってソ連, モンゴル と タンヌ・トゥヴァに宣戦を布告。

そしてドイツによるバルバロッサ作戦が開始
それに呼応するようにフィンランドが枢軸入りしソビエトへ宣戦布告

中国へ進出するだけなら連合を相手にしなくて良い分枢軸入りを避けた方が良さそう…
などと思案しているうちになんとドイツがソビエトに宣戦布告、バルバロッサが始まってしまった
ソビエトの背後を突かねばドイツの進軍に支障が出る可能性もあるし
かといって快進撃されてもひそかに手に入れたかったバクー油田がドイツの手に落ちる

結局再び国民党は無視、急遽対連合の準備を整えるべく
インドシナに西方軍、カナダ国境沿いとアイスランドに東方軍を集めた

アイスランドを基地にイギリス本土を探ると外側は海岸要塞で固められているものの
内陸側の海岸に要塞0のブラックプールという上陸可能な浜を発見
真珠湾攻撃と同じ手法(宣戦布告と同時に上陸作戦)を狙い…

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このような作戦を立ててみた
バクーを狙えるという点ではちょっと魅力的だったが
ペルシアとの同盟は残念だけど解消するしかなさそうだ

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1941年 4月 29日 5:00 : 満州がペルシアとの軍事同盟から脱退。
1941年 4月 29日 5:00 : 日本がペルシアとの軍事同盟から脱退。

というわけで日波斯同盟を解消しておいたので

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1941年 8月 19日 1:00 : 日本がシャムに対して宣戦を布告。

足がかりとして日本単独でシャムに宣戦布告、兵を進めつ対カナダの準備
そしてカナダ国境とアイスランドに兵の配置が終わったのを確認し…

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1941年 11月 6日 0:00 : 日本がドイツ, スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア,
ブルガリア と フィンランドと軍事同盟を締結。

1941年 11月 6日 0:00 : 日本はドイツ, スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア,
ブルガリア, フィンランド と 満州の側に立ってイギリス, フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ,
南アフリカ, ネパール, ブータン, イエメン, オマーン, ベルギー, オランダ, ギリシア, レバノン と
イラクに宣戦を布告。

1941年 11月 6日 0:00 : 日本はドイツ, スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア,
ブルガリア, フィンランド と 満州の側に立ってソ連, モンゴル と タンヌ・トゥヴァに宣戦を布告。

とうとう連合・枢軸・コミンテルンの世界大戦に日本は枢軸として参加するに至った
ちなみにその直前

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1941年 9月 18日 0:00 :
イラクはイラクが寝返るにおいて “停戦に合意し、連合軍に加わる” を選択したとのことです。
1941年 9月 18日 0:00 : イラクがドイツ, スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア, ブルガリア
とフィンランドとの軍事同盟から脱退。
1941年 9月 18日 0:00 : イギリスがイラクとの和平を受諾。条件は:元の状態への復帰
1941年 9月 18日 0:00 : イギリスで “イラクが寝返る” が発生。
1941年 9月 18日 0:00 : イギリスがイラクを属国化。
1941年 9月 18日 0:00 : イラクはイギリス, フランス, オーストラリア, ニュージーランド, カナダ,
南アフリカ, ネパール, ブータン, イエメン, オマーン, ベルギー, オランダ, ギリシア と
レバノンの側に立ってドイツ, スロヴァキア, ハンガリー, イタリア, ルーマニア, ブルガリア と フィンランドに宣戦を布告。

再びイラク寝返る、イギリスの属国になって枢軸から連合へ鞍替え…