山月記より

(おれ)は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、
求めて詩友と交って切磋琢磨(せっさたくま)に努めたりすることをしなかった。
かといって、又、
己は俗物の間に()することも(いさぎよ)しとしなかった。
共に、 我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。
(おのれ)(たま)(あら)ざることを(おそ)れるが(ゆえ)に、
(あえ)て刻苦して(みが)こうともせず、
又、 己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、
碌々(ろくろく)として(かわら)に伍することも出来なかった。
(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、
憤悶(ふんもん)慙恚(ざんい)とによって益々(ますます)(おのれ)の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる(
・・・・
)
結果になった。 人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。
((おれ)の場合、 この尊大な羞恥心が猛獣だった。
虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、 果ては、己の外形をかくの如く、 内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、
己の(()っていた((わず)かばかりの才能を空費して了った訳だ。
人生は何事をも(()さぬには余りに長いが、
何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を((ろう)しながら、
事実は、
才能の不足を暴露((ばくろ)するかも知れないとの卑怯((ひきょう)危惧((きぐ)と、
刻苦を((いと)う怠惰とが己の((すべ)てだったのだ。


「己((おのれ)
((たま)((あら)ざることを((おそ)れるが((ゆえ)に、
((あえ)て刻苦して((みが)こうともせず、
又、 己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、
碌々((ろくろく)として(かわら)に伍することも出来なかった。

「才能の不足を暴露((ばくろ)するかも知れないとの卑怯((ひきょう)危惧((きぐ)と、
刻苦を((いと)う怠惰とが己の((すべ)てだったのだ。」

ううう…

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